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ロシアの旅
死ぬまでに1度は行きたい世界三大美術館と言うけれど
その2/4



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サンクトペテルブルグは美術・芸術・財宝で溢れる
 2日目から5日目まで、ペトロパブロフス要塞・聖イサク寺院・血の上の救世主教会・エルミタージュ宮殿と美術館・エカテリーナ宮殿・ロシア美術館・ピヨートル大帝夏の宮殿等見学したが、丸4日ではまだまだ足りないほど見所の多い歴史的な街でした。
要塞とか宮殿と名称はありますが、それぞれ建物と所蔵する美術品は眼を見張るものばかり、丸ごと美術館であり博物館でもあります。
世界三大美術館と言われるのもさもありなんと思われた。ちなみに三大美術館とはルーブル・NYメトロポリタンそして今回のエルミタージュだそうだ。
 このシーズンは白夜祭で演劇・バレエの観賞に世界から集まると云う事で、ツアーの目玉としてマリンスキー劇場でバレエが組み込まれていた。演目は"夏の夜の夢"。ボリショイ劇場に並ぶ歴史を持つ劇場で日本にも知れた演目を、私達が憧れる足長、細身、小顔の美しいバレエリーナーが目の前で踊り、重々しいオ―ケーストラの生演奏が劇場中を取り囲むんだから、感激しない筈はない。勿論撮影禁止。ちょっと世界的レベルの芸術に触れて、心豊かになった。
 サンクトペテルブルグは私の世代の世界史ではペテルグラードとかレニングラードと教わった。現在人口は470万人、ロシア連邦第二の都市、「北のヴェネツィア」と呼ばれる海と運河に囲まれている。ロマノフ王朝の首都として、政治と文化の中心地として繁栄した。歴代皇帝の膨大な収集品と戦勝品と華麗な建築物と美しい街並みが世界遺産となった。街の名称はロシア革命後、レニングラードとなり、ソビエト連邦崩壊後、サンクトペテルブルグに戻ったということです。学問と芸術と宮廷文化の花咲いた古都と賞せらたが、その時代の国民はどんな生活だったか知らされることはなかった。農民ではなく、農奴だったようだ。
 日本の徳川時代の農民の方が自主性はあったのではと思う。
2015年7月28日    
上村 サト子    

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