6月9日梅雨の真っ只中、雨の日に行くもまた精進と出かけたが、岸和田辺りから渋滞。先9台の事故というニュースが入り泉南で高速を降り、和歌山で再び高速に乗る間、添乗員はひっきりなしにあちこちと連絡を取る。このバスが事故に巻き込まれなくって良かったと慰めのメッセージが届く。田辺から熊野詣中辺路(なかへじ)に入り、第1回目にスタートした滝尻王子跡を越え、紀伊半島の内部にさらに進む。事故の為本日の出発地点を1時間以上遅れたので、参加者は早く歩き出さんとムズムズしている。この地域の前夜は157mm、今日到着寸前も大雨だったとか、遅れたのが幸いだったらしい。
熊野の「熊」の字は「隅」の意と同じで「奥まった地」という意味だと言う。別の説にクマノは「神の野」に通じるとも。南の最果ての地へ苦労をして参詣をすることがより有難いとされたのであろう。この中辺路コースには数知れない王子社がある。12 〜13世紀 、皇族・貴人の京都から今の天満(八軒家船着場)まで船で下り、王子社と呼ばれる所で奉幣・経供養をし、時には宿泊することもあった。先達を務めた熊野修験が急速に組織した一群の神社支社の様なもの、九十九(くじゅうく)王子といい、時には百以上あったこともある。その中でも格式の高いのは五体王子で第1回の滝尻王子も今日ゴールの発心門(ほっしんもん)王子も入る。
豪雨の後の山道は水が当たり前のように横切り、木橋から足を踏み外せば濁流の中に落ちるかも知れず、山肌には名もない滝が生まれている。草鞋峠、岩神峠、三越峠を越え、音無川に沿って降りて来る間、熊野の原生林は幽暗な雰囲気を醸し出す。1年の中で水がない時もあると言われる音無川は語り部の声も遮るほど、音を立てて流れている。発心門王子に着いた時は7時、夕闇が迫っていた。途中貸してもらった懐中電灯は使う事もなく、全員無事だったことに感謝して王子社に手をあわす。
家に帰り付いて歩数計を見れば700歩、ええ〜何でと思い、気付いてみれば日付けが変わって更新されていた。前日分合わせて合計25000歩、歩いた!と自己満足。
現代の私達は何を願ってわざわざ喘ぎながら登ったり下ったりしているのか、自分に問うてみる。今回参加者の一人に85歳と言われる男性、かくしゃくとしておられる。この姿が自分にとって理想とするのかとあらためて判った次第、次回も頑張ろう。
2015年6月18日
上村 サト子
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