繁栄に導いた天文学と航海術の発達により世界の殆どを制覇したと言っても過言ではない。そのメッカはテムズ河沿いのロンドン郊外にあるグリニッチ地方で、もともと王室の別荘地であった。その小高い丘にグリニッチ天文台と旧海軍学校や国王海事博物館があり、桟橋近くに19世紀、中国やインドから紅茶貿易で膨大な富を生んだ高速帆船のひとつ"カティーサーク号"が美しい姿を見せている。グリニッジと言えば子午線と標準時の二つを学校で教えられたのを思い出すが、今は汚染されたロンドンで正しい観測が出来ないという理由で地方に移されている。東経0度、西経0度の子午線は変わりなく、金属製のラインを跨げば東西両半球を同時に足下にした事になる。テムズ河横に丸い青いドームの下に降りれば、テムズ河の川底を横断する歩行者と自転車専用のトンネルがある。
貿易と植民地から得る膨大な富の象徴は英王室が持つ財宝であり、大英博物館やナショナルギャラリーや自然史博物館やヴィクトリア&アルバート(略してV&A)ミュージアムなど数々の数えきれない文化遺産である。その中でも世界最大級と言われる大英博物館は1753年に亡くなった医師の遺した収集品と蔵書を保存・公開する為、宝くじを発行し、その30万ポンドの資金でスタートした。その後英国の繁栄により、エジプト・シリア・メソポタミアの考古学遺物を自国に持ち込み、さらにギリシャ・西アジアのみならず世界中の考古学的発掘・収集に広がった。その中でもロゼッタストーンは3体の文字で史実が刻み込まれていて、古代エジプト文明の解明に光をあてた。この貴重な石は1799年遠征中のナポレオンの部下が見つけたが、仏軍が撤退し、その後イギリスに勝利品として接収された。実際どこの国の物だろう。エジプトも返してほしいと言っている記事を読んだことがある。
V&Aミュージアムの創設もまた英国全盛時代の申し子。1851年世界初の万国博覧会がロンドンで開催され、大成功をおさめた。その展示品を展示する為に設立された。その後全世界、全時代に亘る美術工芸品が寄付や購入で収蔵されている。とりわけ繊維産業は産業革命で英国は世界一の座を得た.この博物館でその輝かしい歴史を衣装コレクションで見る事が出来る。今回の特別展示は約200年を遡った結婚式衣装で、現代のパリコレにもひけを取らない新鮮さであった。日本ギャラリーには織物・漆器・鎧兜等数知れず展示されている。館内にある文化遺産に囲まれた3室のカフェ&レストランでの特製のソースの付いたスコーンとレモンケーキは見逃せない。私達もしっかり味わった。ここに述べた大々博物館の多くは見学無料である。英国の世界文化遺産に対する責任の表れか、寛大な国民性なのか、富と権力で手中に収めたものの分配なのか、英国だからこそ立派に保存されたと賞賛の声もある。
最近若者に愛されるテート・モダンと略される近代美術館がある。ロンドン市内のテムズ河に面した発電所跡地が寄付され、2000年に巨大なアートギャラリーになった。ピカソやウォーホール等の現代アート作品もあるというがまず巨大な地下に降りる。発電所の機械が置かれていたであろうスペースに、イメージは見る人の勝手とばかり赤い布がのびのびとたなびいている。最上階のカフェから市内を一望する。近代的な建物もあるが歴史的な遺産に目がいく。前のテムズ河にかかる橋はやはり2000年に作られ、ミレニアム橋と名付けられたが、余りに人気を呼び、早々にぐらついて閉鎖されていたのを最近再開したとか。この橋を渡ってロンドン中心地近くに戻ると、中世の同業者組合の中心地にギルド博物館や魚屋・革商・金属商・時計商・ミルク通りなどと建物や道路に名を付けているのが、ギルド制度の名残りである。この制度もロンドンの経済を牛耳っていたことであろう。今もある食肉市場から食肉の匂いが漂う。市内にローマ時代の壁も残り、三千年の歴史がひしめき合っている。
2015年1月28日
上村 サト子
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