あいにくの雨でしたが、1月15日市老連協賛の恵方三社詣に行ってきました。
生まれ育った神戸の街を懐かしむとともに、20年前の震災後の復興をこの目で見たいなという気持ちで出かけました。
私は西灘で生まれ、3歳で岡山県に疎開し、10年後にまた神戸に戻り長田区で2年、東灘区で10年を過ごした後、高槻で子供を産み育てました。
一番長く住んでいるのは高槻ですが、故郷を聞かれれば神戸と答えます。
長田さん(長田神社)の参道の商店街は道幅も広く、新しいお店ばかりのようでなんとなく被害の大きかったことを連想させられました。
楠公さん(湊川神社を私たち神戸っ子はいつもそう呼んでいます)もきれいになっており、昔の面影はなくなったようで年月を感じました。
生田さん(生田神社)は子供の頃、毎年初詣に出かけていたり、震災の前には姪も結婚式をあげており、とても懐かしいところです。
震災時は本殿の屋根が落ちて大変だったようですが、きれいに修復されていました。
地震列島の日本に住んでいる限り、さけられないこともあるでしょうが、なんとかこの1年が無事に過ごせるようにと、手を合わせたものです。
昨日、今日、震災後20年たち、街は復興されていますが、被災された方々がまだまだいろいろな苦労をされている様子がテレビで映し出されています。
50歳台で震災に会い、復興借り上げ住宅でやっと住むところと、友達ができ平穏な生活をを紡いできた方が、今70歳を過ぎて20年の期限が来たから出て行けと言われているとか。
若い人なら何とか道もあるでしょうが、身よりの無くなった一人暮らしの老人では、早く死ねと言われているのに等しいのではと…。
20年たってまた傷跡をえぐられておられるようで、同じ年代の私は考えたらとてもつらい気持ちです。
のんきにバスで三社詣でをしてきた自分が恥ずかしくなりました。
何とか良い解決方法が見つかりますようにと、遠くから手を合わせます。
2015/1/17 記 北村 澄子
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