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熊野古道伊勢路第10回
"観音は世に連れ、世は観音に連れる観音道"



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 平安末期から江戸時代にかけて、地上の罪を詫び、極楽浄土を願う観音信仰が盛んになった。しかし西国33ヶ所を参ることができないので、近場で霊場が全国あちこちに造られた。この熊野にも麓の清泰寺から約260mの頂上にある清水寺(せいすいじ)までの約1kの山道の脇に33体の観音石像が造られた。ただ現在は清泰寺に1番から4番まで安置されているので、私達は世界遺産の標識から登り始めると早速5番から15番までの観音様が優しいお顔でお迎えしてくれた。観音様の命日にはお寿司やおはぎが売られ、地元の村人で賑わったらしい。今の天神さんに屋台が出るようなものでしょう。巡礼者も南側の山道より北側のこの観音道を通る事も多かったらしい。
 頂上にあったという清水寺の由緒は坂上田村麻呂のお母さんが京都清水寺(田村麻呂が創建したとも)に信仰篤く、我が子の武運長久を願い、この地に寺を寄進したが、同じ名では怖れ多く、"せいすいじ"と称したと語り部は話される。坂上田村麻呂と熊野のつながりは如何とは話されない。伝説を追求しないのがツアー客のマナーとしておこう。現在残念な事に清水寺はなく、奇岩と石仏、戦時中の戦勝祈願の舞姫の大きな石碑が残り、茶屋がお弁当に使ったか、その名残にバランや花ミョウガの株が残っている。明治に入って、日露戦争や第二次大戦に到るまで戦勝と無事生還を願う人達で賑わったが、戦後すっかり人気をなくし、寂れていた。しかし平成5,6年世界遺産登録頃より人の訪れを取り戻してきた。猪垣も延々と続く。1日米5合の農閑期の大切な公共事業で早くても遅くても不可。
 世の中が平和であればこその世界遺産だが、世界の一部ではまだ戦禍におびえている人達も多い。英雄や神仏に願いをかけたいが、二日後にせまる衆議員選挙に平和の願いをかけたいものである。
2014年12月20日    
上村 サト子    

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