食後の疲れも出て、シルバー隊は足並み遅く野辺の道を1時間もかかって曼殊院に着く。
幅広い高い所から勅使門が見下ろしている。歴代の門主の中に皇族男子が入寺されたので格式が上がったのだろう。
当寺の始まりは伝教大師最澄が、比叡山の中に鎮護国家の道場として一坊を設けた後、京都を廻り、修学院近くのこの場におさまった。
創建以来、学徳・教養に優れた名僧、門主が多かったので、当代文化に与えた影響は大きかったといわれる。あっちを向いてもこっちを向いても国重文とか桃山時代とか江戸時代とか書いてあるのですっかり疲れてしまって、カメラもなおざりになってしまった。
元気な一行はさらに修学院離宮を越えて、赤山禅院に行くと言うが、来客約束があり、タクシーで運転手が道の混雑を嘆く中、歩きはじめの一乗寺駅にもどる。
一日紅葉の赤色に染まっていたような気がする。この紅葉と共に、日本の誇る茶道・華道・和歌・書道・造園・建築などの文化がさらに価値あるものになってきたのだろうと感じた。
2014年12月16日
上村 サト子
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