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紅葉の赤は日本の文化を育む
その2
詩仙堂



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 詩仙堂は徳川家の家臣であった石川丈山(じょうざん)が隠居の為に建てた山荘であったが、近年永平寺の末寺なったものの遺品がそのまま残されている。丈山は大阪夏の陣に家康の幕下として参加、功名を得ながら、先登の禁令を犯し、処罰され、一度武士をやめたが、再び他藩に仕官した。
 一生、沢山の文人と親交を持ち、学問を修め、59歳でここを終の住処とし、詩も漢詩も書、特に隷書として当代一流となり、煎茶の開祖でもあった。作庭家としても名手であり、東本願寺の枳殻邸渉成園、修学院離宮など手掛けた。
 詩仙堂の庭は勿論のこと、特に赤い紅葉と緑の小山のようなさつきの配置、手水鉢、白い大きな山茶花も見所である。特に"鹿威し(ししおどし)"として知られる「添水(そうず)」の仕掛けにより、時折甲高く響く音は鹿や猪の侵入を防ぐと云う実用性と共に庭のアクセントにもなっている。丈山もこの音を楽しんだらしい。
2014年12月16日    
上村 サト子    

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