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熊野古道伊勢路第九回
"伝説と神話の波田須の道から大吹峠"



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 今回のタイトルの伝説と神話の謂れを語り部は説明してくれる。
その一つ、秦の始皇帝の時代に不老不死の薬を求めて、中国からこの地に上陸して来た「徐福」。
農耕・捕鯨・土木等の高度な文明を里人に伝えたと親しまれ、信仰の主になって祠に祀られている。
その薬とは根が健胃に効用のある天台烏薬(てんだいうやく)の木とも言われ、波田須神社や徐福の宮の周辺に沢山植えられている。
しかし徐福が日本に上陸した地として200もあるという。何しろ紀元前200年も前のことだから確かでない。紀元前100年頃の司馬遷記に3000人の若男若女をつれて出航して行ったとあるので、まんざら嘘でもないようだ。
 神話として「弘法大師御足跡水」は大師が置かれた足跡の凹地に霊水が沸き、その後枯れる事なく溜まり、その水は万病にご利益があると言われているそうだ。
何事も信じる者は救われると心するのみです。山中の上部に、もと稲田であった谷間がある。気温が少し低く、20℃以下の気温で日数長く育てられた米は美味しいと徳川幕府からお買い上げがあったらしいが、今や全く荒れ地で昔日の面影はない。
やはりこの道にも巡礼碑が私達の足元を見続けている。当時の巡礼は氏名・住所の名札を油紙で巻いて持っていたので、行き倒れになった場合、土地の人はその地に埋葬し、住所先に連絡をし、家族の希望により碑を建てた。後年同じ村人のだれかが講で順番に来るので、判別出来るよう必ず道脇に建てたらしい。
 現代人にとって明確な事実の方が関心が高い。
語り部が"ふり返ってくれ"と指示したのは、山道を通り抜け、視野が広まった所。何年前になるのだろうか、百恵ちゃんが歌った"いい日旅立ち♪"のポスターに使われた景色と指し示す。
ただ当時は線路を隔てて、れんげと菜の花が咲き乱れ、民家が旅情を呼び、海と空の青さが輝き、その中を列車が走ると目を引く素晴らしい景色だったが、ここも住人が居なくなり荒れ果てている。
変らないものは海と空。それも望めない都会よりずっと良い。写真ポイントのもう一つの名所は大吹峠にある桜の大木である。その桜の花びらが雪のように散る中、地形の関係から、谷間から風が吹き上げ、花びらが巻きあがって行く様を取った写真が入賞したということで、シーズンにはカメラマンが行きかうらしい。
 今回のスタートは熊野古道伊勢路の中でも鎌倉時代の最も古い石畳で、一つ一つが重厚で大きい石が使われている。8回まで歩いてきた石畳の石は50センチ前後の揃った石が多く使われていた。最終地点は火山活動による柱状節理の岩壁の奇勝で終わった。紀州は木と石と海と空の恩恵をたっぷりと受けてきた。ここに心の安らぎを生む霊所が出来たのが納得できる。

2014年12月10日    
上村 サト子    

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