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"2014年10月15日"
【国指定史跡”高取城跡”】

【山上に残る栄華の跡 高取城跡】

 千鈴会(北摂山ガール)では毎月第2週の平日に近畿地区のトレッキングをおおなっています。今回は 奈良てくてくSコース 「壺坂・高取コース」(壺坂山駅〜壺坂寺〜高取城跡〜壺坂山駅 11km)を歩いてきました。
高取城跡は標高584mの高取山にある城跡です。南北朝時代(元弘2年 1332年)ごろ越智邦澄によって築かれて以来 豊臣時代は本多氏、江戸時代は植村氏の居城となり幕末(1668年)まで続いた。
城は城内と郭内に分けられ、場内は約1万平方メートル、周囲3km、郭内約6万平方メートル、周囲約30kmという広大なもので、山城としては 日本一の規模である。廃城後建造物は明治中期に取り壊されて、今は石垣を残すだけとなった。
【城下町高取町、土佐街道を通過して城跡へ】

近鉄吉野線の壺坂山駅で下車し、ここを起点として壺坂・高取コースは始まります。土佐は2万5千石の城下町として栄え、今も低い軒先格子戸の 古い家並みが長々と続き昔の繁栄を物語っています。観光案内所として「夢創館」、お里沢市ゆかりの伊勢屋屋敷跡、壺坂寺の大観音石像を見ながらすすみ 巨岩に無数の石仏を刻み付けた五百羅漢を経て、壺坂口門をくぐり高取城の大手門へと歩きます。
【高取城の縄張り】

本丸 小天守格を中心に北は三の丸、千早門を過ぎて侍屋敷を城郭に取り込み 三の門、二の門を経て猿石、七曲道を経て城下町へと下山します。 西は壺坂口で、南は高取山に守られて、東は吉野口門で吉野山に至る。
記 成本ヒミカ(HN)   
 ←大手道登城案内標識 

高取町観光案内所(〒635-0154 奈良県高市郡高取町大字観覚寺990-1 0744-52-3334) 発行の町勢要覧によると、見どころは「宗泉寺(植村氏菩提寺)」「子嶋寺」「光雲寺」や 6世紀後半から7世紀にかけて日本統一国家発祥の地、としての証として残る全国でも有数の古墳 密集地帯となっている。「束明神古墳」「市尾墓山古墳」「市尾宮塚古墳」「カンジョ古墳」「与楽鑵子塚古墳」 など大小八百以上の古墳が県史跡に指定さらている。

大手道登城案内標識 

大手門跡

→昔を忍ぶ石垣 


高取町は江戸時代にはすでに全国各地を行商していた大和の薬売り、日本で最初の売薬は「陀羅尼助」でした。

 ↑ 大手門の石垣


藩主も感心した孝行者「和州清九郎」や、昭和を代表する俳人の一人「阿波野青畝」がいます。
 葛城の 山懐に 寝釈迦かな


昔の石組みのままの石垣

←本丸への石垣群 



→本丸への通路に樹木繁茂 



石垣群

樹木繁茂

石垣群

本丸

樹木繁茂

本丸から見た城郭

高取城跡の碑

高取城跡の碑

二の丸

石垣群

石垣群


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