青蓮院は京都東山にある天台宗のお寺です。最澄が比叡山を開くにあたって、造られた住坊「青蓮坊」が起源で皇室と関わりが深く、高い格式を誇ってきました。別名を粟田御所といい江戸時代には後桜町天皇の仮御所となっています。国宝、重要文化財が多く残され茶室や江戸中期の建造物、由緒ある景観を守るため6千坪の境内全般が国の史跡に指定されています。
神宮道でバスを降り、すぐ東側にある青蓮院に入ります。折りから紅葉の季節でたくさんの人で溢れていました。常緑樹と紅葉の織り成す錦に彩られた池を囲む庭園の眺めにしばし見とれました。各部屋の上部には百人一首の色紙が飾られています。青蓮院から送迎バスがでており、少し離れた青蓮院将軍塚へ行くことが出来ます。
バスに乗り約15分、東山の九十九折の山道を紅葉を見ながら登ります。青蓮院将軍塚は桓武天皇が都を長岡京から京都に移す際、和気清麻呂が狩に事寄せて天皇をこの山上にお誘いし、京都盆地を見下ろしながら都の場所にふさわしい旨進言し、天皇はその進言に従って七九四年平安建都に着手したということです。天皇は都の鎮護のため高さ2.5メートルほどの将軍の像を土で作り、鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ太刀を帯させ塚に埋めるよう命じました。これがこの地を「将軍塚」と呼ぶ由来となったそうです。塚は韓国の古墳のような芝生でおおわれており相当大きなものです。すぐ前に東郷元帥お手植えの松の木がありました。本堂は「清龍殿」といい今年10月に落慶したばかりです。新しいお堂で丁度ご開帳になっている、国宝の「青不動明王」を拝観しました。これは2年がかりで種々の科学捜査を行い、当時と同じ状態での復元模写をしたということです。本堂の裏手が大舞台になっています。広々とした舞台で右手に比叡山が望めます。正面は京都市内が一望できます。平安神宮の赤い鳥居や、御所、双が岡なども見えていました。この雄大な眺めにはきっと桓武天皇さまもご満足されたでしょう。
2014年11月22日
牧戸 富美子
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