10月上旬、台風18号が日本各地に被害の爪痕を残し、心配されたが、10日の計画にはぎりぎりで晴天になり、胸をなでおろした。この時もニュースでは尾鷲、熊野灘情報は実によく出てくる。実際にこの台風だけで500mlとか、年間雨量3000mlというから驚く。(屋久島で4000ml)これだけの土地柄なのに、先人の知恵があるのか、大きな被害は聞かない。住民の全国最高平均年齢と言われた紀北町だったが、熊野市合併で最高ではなくなっても、バス1台でも通り過ぎるのに片や山肌を、他方海側のガードレールに当たらんかとする山道の奥の村の存在は変わりはない。
今回のコースは二木島峠(にぎしまとうげ)〜逢神峠(おうかみとうげ)で比較的高低差の少ない峠越えの約4.5k、歩行時間3時間半で歩きやすく、誰もリタイアしなかった。この「逢神」とは伊勢と熊野の神様が出会うという意味で、伊勢と熊野大社のほぼ中間に位置している。ほぼ全区間に苔むした石畳が通じていて、平安時代から熊野詣でをした面影を留めている。現在なら海辺に沿った国道辺りを歩けば良いのにと思うが、当時は山の裾野がまで迫って居て、山中の峠を越えねばならなかったのだろう。この峠を越える最中に命を落とした人も多かったらしく、巡礼者の碑が立ち並ぶ。太平洋につながる海岸近くにはキリシタン燈籠もあるが、外国船や外国人も流れついたのであろう。
今回の語り部の説は熊野に"き"と名の付く地名が多いと云う。今まで私達が通ってきた中にも女鬼山、八鬼山、三木峠、二木島峠、これからの鬼ケ城・・・がある。それは山賊・海賊が良く出没したことで、鬼に例えたという説もあるが、この語り部は"き"は"鬼"に通じ、悪者ばかりでなく神として成敗してくれる敬いの気持ちがあったのではないかと言われる。確かに鬼子母神は子どもを守る神で、ヨーロッパの各地の噴水の真中に立つ日本の鬼子母神と同じ像を見た事がある。今年の夏も岡山で鬼の伝説を持つお祭りがあり、鬼を愛する関係者が集まったそうだ。
海と山の絶景を見ながら、語り部の言葉に心地よく耳を傾ける1日であった。
2014年10月31日
上村 サト子
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