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二上山博物館を訪ねて


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奈良県と大阪府の境にあり、葛城、金剛、生駒山系に連なる二上山は、古くは「ふたかみやま」と呼ばれ、万葉集にも詠まれた山です。誰でも一度見れば忘れられないあの美しい雄山と雌山の二つの峰を持つ、大阪の少し高いところからなら、すぐ目に付く山です。
二上山は千数百万年前に大噴火した山だそうで、活発な火山活動によって多くの火成岩が分布しており、なかでもサヌカイト、凝灰岩、金剛砂はその後の人類文化の発展に大きく寄与した岩石、鉱物です。二上山の3つの石と言われています。
サヌカイトは、ガラス質で打ち欠くと二枚貝の貝殻状に割れて縁に鋭利な刃ができるためナイフ形石器などの原材料としてさかんに利用されました。
凝灰岩は古墳時代には石棺の材料として、奈良、飛鳥時代には宮殿の礎石や、基壇の化粧石、平安時代には灯篭や五輪塔などにも利用されて来ました。
金剛砂(ガーネット)は、石切り場火山岩が風化流出して低地に推積した砂礫の中に含まれています。鉄分が多く硬度6.5〜7.5(ダイヤモンドは10)と非常に硬いことから奈良時代以降おもに研磨材として利用されて来ました。明治時代末ごろからは研磨布紙(サンドペーパー)として生産は急速に増大したということです。
その二上山を望む麓に「二上山博物館」があります。館内は看板どうり石器に溢れています。サヌカイトの楽器、石琴や、いろいろの種類の石器、岩石、と出土品や発掘現場の様子などが展示されていました。
説明していただいた、ガイドさんのお話によりますと、春と秋のお彼岸の日、二上山の雄山と雌山の丁度真ん中に夕日の沈むのが見られるということです。それを見る集まりがあって4時ごろから出かけるのだそうです。なんてロマンチックなお話でしょう。
また二上山には天武天皇の皇子、大津皇子のお墓があります。大津皇子は天武亡き後、皇位継承の争いから謀反の疑いをかけられて処刑されてしまいます。それを悲しんだ皇子の姉、大伯皇女の詠んだ歌が万葉集に残されています。

うつせみの人なる我や明日よりは
二上山(ふたかみやま)を弟背とわが見む
大伯皇女

2014年9月28日    
牧戸 富美子    


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