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熊野古道伊勢路 第6回
“ 昔・貧乏道、今・金持ちの道の三木里(みきさと)峠 ”



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  伊勢から熊野本山への巡礼道コースも6回目で中盤に差し掛かった。高槻から枚方のグループを迎え、バスは高速道路を乗り継ぎ、約四時間走って、三重県尾鷲市で降りる。まず用意された手作り弁当を頂く。
今回も竹の皮の弁当箱に入った三色おむすび、その中でも梅の香漂うおむすびには食欲をそそられ、もう一口あればと思いながら、腹八分目でお弁当はなくなる。
これも今から山道を歩く私達の事を考えてかとあきらめて、集合場所に向う。今日は8月29日、暑い夏も峠を越したから、少しは涼しくなろうかと期待したが、海風もなく、山道は蒸し暑い。
 いよいよヨコネ道と言う山道に入り、登って下って国道に出る。今のは熊野古道番外編と語り部は言う。
個人の御夫婦が人工林と自然林のなかにこんな気持ちの良い道を作ったとか。再び山道に入り、登る事1時間弱で三木峠とさらに展望所に到着。山道のあちこちから三木里海岸が見渡せる。その向こうに熊野灘から太平洋につながるかと思うと世界は広いと感じる。両脇には厚さ2cmもある緑のかつらをかぶせた様な苔むした石があり、そっと押さえると案外硬い。道は下りなのに、"登り道"と矢印が下をむいている不思議な標識をいくつか見た。高低差は150m程度なのに、登ったり、下ったりするコースである。この真下に見える美しい入江を巡礼者は30文(30円くらいか?)で舟を利用したらしいが、それでも払えない者や身分の低いものは乗せてもらえず、この峠を歩いて越えた。語り部はこのコースは昔、貧乏人が通り、今遠い大阪からお金払って金持ちが通るとジョークを跳ばす。
 いくら拭っても汗が出てくる。途中私達のグループの女性が道の傍らで休みがちになる。語り部がザックを持ち、水分を補給させたり、休ませるが、遂にリタイア。みんな同じ歩調で歩き、休んでいたのに、熱中症だったらしい。幸い症状は軽く、近くに自動車道が通っており、語り部のお知り合いが迎えにこられ、私達は再び羽後峠に登る山道に入る。片側に1mぐらいの高さに積んだ石垣が続く。昔の人が猪の被害を防ぐために作った猪垣(ししがき)だ。
現代では鹿や猿の被害の方が大きく、特に猿は家の中まで入ってきて、ミカンを失敬していく上、男性が怒れば逃げるが女性には歯をむき出して反抗すると語り部はいわれる。
間もなく村の手前の羽根と言う地名の辺りに出る。多分昔は人家があったのだろうが今はなにもない所に1mくらいの"賀田羽根の五輪搭"がある。五輪搭とは、上から「空・風・火・水・地」と宇宙の生成要素を説き、仏教思想に基づいて平安時代に創始された。その後供養や墓石のために作られたらしいが、この五輪搭の下部に平安初期の年号と修験者の名前が刻まれているので尾鷲市で最古のものと指定を受けている。ただ不思議なのは下から2番目の「水」がなく4重搭になっている。崩れた際誰かが何処かへ移動させたか。その内農家の庭から出てくるかもしれない。村の中の電柱に昭和19年南海地震、安政元年(1854年)安政の大地震の水害記録が色あせている。10分も離れたここから見えない海から水が上がってきたらしい。
 間近で熱中症の方を見たのは初めてだし、大きい水害にも遭った事がない。
 事故、災害は忘れた頃にやってくると言われるのを肝に銘じておこう。

2014年9月10日    
上村 サト子    

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