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オーストラリア旅行V
ケアンズ・キュランダは歴史上重要な街



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 少しオーストラリアの歴史を紹介しよう。 日本の21倍の広さを持ち、人口は2300万人強だから、人口密度は日本と較べて、約1/100という事だろうか、この広いオーストラリア大陸に約6−7万年前にアボリジニの祖先がアジアから移住してきたのではないかと推定されている。当時アジア大陸とオーストラリア大陸は地続きだったが、解氷期に海面が200m程上がり、孤立してしまった。その結果農耕文化は伝わらず、狩猟・採集による独特の生活と文化が進んだ。
 香辛料を求めてポルトガルやオランダから白人がやってきたのは16−17世紀、しかし香辛料はなかったので、興味を示さなかった。その後、遂に英人クックが1770年今のシドニー辺りに上陸し、この東部を英国王室による領有を宣言した。当初、流刑者の植民地と管理する兵隊とその家族の為のものであったが、各地にゴールドラッシュに沸き、このケアンズも同様であった。アボリジニは自分の大地から追われ、理不尽な逮捕や虐殺が公然と行われ、さらにゴールドラッシュに輪をかけて、人口が増えすぎて、移民の奨励と制限も行われたが、結果として、政治経済が安定を取り戻し、1901年連邦が出来あがった。白人による国家の建設理念が盛り込まれていた。(=白豪主義)
 第一次大戦、第二次大戦には軍団が組織され、5万人以上命を落としたとされている。そんな遠いシドニー湾まで日本軍は進攻し、フェリーを撃沈したという事件もあったらしい。(特殊潜航艇)軍隊はこの大きい大陸まで日本の領地に出来ると思ったのだろうか。アメリカ大陸まで風船爆弾で進攻しようとした日本軍だから、さもありなんとあきれる。オーストラリアは1970年過ぎ遂に、有色人種、特にアジア人に対する差別をなくす政策がとりいれられた。アボリジニの独特のアートと文化は大事に保護されている。今でも英連邦に属し、元首はエリザベス女王。この歴史的変遷により、治安もよく、観光客も自在に楽しめるので、全世界から観光に訪れる。留学生の為の制度も短期労働体験のワーキングホリデー制度も進んでいる。私の大学生の孫も今年の夏、シドニー近郊で4週間の留学を体験している。
 ゴールドラッシュに沸いた時代の名残りとして、労働者や資材、食料品を運んだ列車で現在観光用に活躍しているキュランダ鉄道がある。ケアンズから5分もしない所に始発駅がある。全長74kをゆっくり高度を上げて、約1時間半走る。終点の海抜380mに700−800人の小さな高原の村キュランダがあり、昔はアボリジニが住んでいたが、今は民芸店・レストラン関係者やアーティストが住んでいるという。ケアンズやキュランダや海沿いの古い街も今、斜陽から観光に立ち直りつつある。

2014年9月1日    
上村 サト子    

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