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熊野古道伊勢路第4回 八鬼山(やぎやま)越え
〜山奥の聖地0番札所〜



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 古道ツアーも第4回目、梅雨の真只中の6月27日、いつもより早い7時10分の高槻出発時間には曇り空でラッキーと喜んでいたのが甘かった。
尾鷲市内に着く11時過ぎには遂に雨が降り出した。全コース中1番きついと洗脳されていた八鬼山峠を前にして怖れながら、全員雨具を着けての準備運動もままならない。
70歳前後とお見受けする語り部の男性の声も雨空同様くもりがちである。
 まずは三重県の民謡の一つ尾鷲節の記念碑の説明から始まる。"ままになるならあの八鬼山を鍬でならして通わせる"と峠をへだてた村長の娘と山向こうの若者の恋を歌った民謡で七夕みたいだが結末を訊くのを忘れた。登り始めから遠くに見えるのは中部電力発電所と東邦石油のガソリンタンク。最近では石油が高いので稼働していないらしい。その近くの公園にバットを持った野球選手の銅像が霧に霞んで見える。本籍が尾鷲の別当薫氏だという。戦後超人的な成績と大阪タイガース(現阪神)等で監督をして野球殿堂入り。私にとっては霧に霞んだ存在である。
 登り始めから石畳である。豪雨や台風の多い尾鷲の山道を造り、守るのに古来より人々が積み重ねてきた努力の賜物である。何時出来たとは言い難いそうだ。ひたすら滑らぬよう注意深く七曲がりの石畳を歩く。両脇には徳川吉宗が大事にしたという天台烏薬(てんだいうやく)の葉が雨に濡れて美しい。今も健胃、整腸、痛止の漢方薬の中にあるが吉宗公も藩主としてストレスに悩まされたのかもしれない。行き倒れになった巡礼者の墓標や石仏が沢山あるので私達が無事この峠を越せるよう心の中で手を合わせる。スタート地点から道脇に町石(丁石)がたてられ、1丁(約109m)毎1/63が増えた数字になり、最終63/63になるというので、喘ぎながら数字を声にだし自分を励ます。遂に2人の女性が途中でリタイアするので、添乗員と降りていった。もうこの先リタイアする道がないと語り部に言われ、さらに足元に注意してひたすら歩く。
 不思議な事に気が付いた。石畳の道は硬い石で固められているのに、登り道の両脇に大小の岩が転がっている。海亀の背のように丸く、外の皮が玉葱のようにはがれた形をしている。石が古いからと説明あり。奇岩・巨岩も多い。その中でも蓮華石と烏帽子石は特に面白い。九木峠(くきとうげ)を越えると三宝荒神堂と茶屋跡がある。このお堂は西国三十三所第一札所の青岸渡寺の前札所0番札所だったというから、まさに大切な聖地だったのだろう。私達も雨の中、パンフレットの末尾にしっかりとスタンプを押した。リタイアした人の分まで頼まれてスタンプを押したのでちょっと気がひけたけれど。
 遂に627mの八鬼山峠に着いた。相変わらず雨と霧である。巨岩が横たわっている。下りはさらに滑りやすく、あちこちでズルッと滑る音が聞こえヒヤッとする。登りに較べ下りの方が短かったのは急な坂であったか63/63の町石を見てほっとする。降り口の数本の樹木の幹に白いペンキで「世界遺産反対」と書かれていて痛々しい。里近くの藪の中には??草(はんかいそう・中国の武将の名とか)や蓮の葉かずら(葉の裏が蓮の葉の葉脈に似ている)がある。
 車中で着替えた。雨と汗に濡れた衣類の重さと達成感とリタイア組も合わせて無事だった事への感謝を重ね合わせ帰路についた。

2014年7月10日    
上村 サト子    


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