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熊野古道第3回 三浦峠
〜新しい木橋は今では170歳〜



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 伊勢から熊野三山に向けて歩くシリーズも3回目となり、高速道路は毎回同じで、紀伊長島で降りる。
この先尾鷲まで工事続行中。その内紀伊半島を高速でぐるりと一周出来るようになるだろう。バスは素朴な海辺の町紀伊長島から村道に入り、その地名もまた素朴な古里村に着く。磯の香をかぎながらお弁当を頂いて腹ごしらえ。
語り部さんに付いて紀北町の海沿いの道を歩く。
 今朝の天気予報でPM2.5の数値の高い日となるだろうと言っていた通り、紀伊の松島と名付けられた風景がすっかり霞んでいる。目の前の丸山島は個人の所有だそうだが今は三重県が管理している無人島だ。一行は紀勢本線を渡る。この単線を"ワイドビュー南紀"が名古屋―紀伊勝浦を1日4便、普通が10便の往復だが、私達の前後には人気なく、古びた民宿の看板が海風に荒れている。入江になった海岸は海水浴に最適のようだが、さらに多額の予算をかけて外国から美しい砂を輸入したにもかかわらず、一夜の嵐で砂は海中に流れ出し、オーシャンステージとして造った階段も今ではヒジキやわかめの干し場になってしまったとか。遠くに見える尾根に豊浦神社と展望台があり、そちらへの道路は観光バスがすれ違えるほど広い道があるがここも通る自動車は見当たらない。当地出身の元大臣の肝いりで出来たらしい。
誇りは世界遺産として熊野古道が認められるよう整備したことであろう。杉や檜に囲まれ若宮神社こそ村人に大事にされているのであろうか、草1本なくひっそりと鎮座している。登山客も手を合わしたくなった。熊谷道登り口に世界遺産の標識があり、下方には新宮に行く自動車道と歩道用の古里トンネルが見える。地元の人はさぞかし便利になったと喜んだであろう。先ほど見た観光用の道路と正反対である。私達は勿論山登りの道を杉や檜の林の中をたっぷりマイナスイオンを受けてゆっくり上った。山道には"ひとつばしだ・みつでうらぼし・うらじろ"等のシダ類が木立のこもれびをあびて美しい。"鹿子の木(かごのき)"は鹿子模様の木肌で覚えやすい。材質は硬く粘りがあり、建築や家具に使われる。山道の真中に急に大きい石が置かれている。旅人が背中の重い荷物を"よっこらしょ"と置いたらしい。本当に手頃な高さである。熊谷道の終わりは2006年世界遺産に指定された記念に作られた木橋である。支柱部分は樹齢150年を超えた直径80cmの檜を使い、総工費2200万円であったと標識に書いてあり、有難く渡らせてもらった。山道の崖崩れ防止の石垣は江戸時代城壁の仕事が減り、職人は山道造りに精をだした。
ここを下れば急に新築家屋が見えてきた。道脇に枝を出す木は"譲葉または交譲木(ゆずりは)"といい、みずみずしい緑の葉をしている。葉が集まる葉柄部分は人間の手が入る地域では赤くなり、山の中の野生の木は緑色をしているらしい。新しい葉が育ってから古い葉が落ちるのでこの名が付いた。しっかり世代交代をかんがえていることに目出度い木として愛でられ、私も葉が新年の飾りに用いられていたのを見た事がある。
植物も人間も世代交代のタイミングを見計るのが大事かな・・・。

2014年6月10日    
上村 サト子    


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