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平安朝第一の貴族の邸宅 冷泉家を見学して


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 平安朝の貴族と言えば藤原氏です。
その筆頭ともいえる藤原道長から四代目が和歌の神様と言われた藤原俊成(しゅんぜい。勅撰和歌集,千載集の選者)とその子藤原定家(ていか。勅撰和歌集、新古今集、新勅撰集の選者)です。その孫が為相(ためすけ)でその為相が冷泉家の始祖となっています。当時の朝廷はほとんど藤原氏でしたから、それぞれ別家をたて二条家、京極家、冷泉家などとなりました。正式の姓は「藤原」だそうです。為相から数えて25代目が現在のご当主、為人様です。
 冷泉家は京都烏丸今出川の同志社大学の南側に隣接しています。そして京都御所のすぐ北側でもあります。機会を得て、その邸宅を見学させていただきました。現在の建物は天明の大火(1790年)の後、建てられたもので、現存する最古の公家住宅ということです。
 まず表門、正面は勅使が通られるときだけ開き、普通は左側の通用口が使われています。屋根には一対の亀の瓦が配置され、阿吽のかたちをしています。亀はめでたい象徴とされまた水を吐いて、火避けにもされているということでした。そして内玄関、式台、大玄関、使者の間があり、部屋は「ハレ」(公的のもの)「ケ」(私的なもの)に分かれていて、「ハレ」の間には畳の縁に紋がある「紋縁畳」が敷かれていて「ケ」にはありません。使者の間に続く中の間、上の間は「ハレ」の間で歌会などが開かれる座敷となっています。各座敷は、おおむね十畳くらいで、十以上あります。境の襖を外すと大広間ができるようになっています。
 冷泉家は平安時代から第一の歌道の家柄です。冷泉家で最も大切なのは、その平安時代から伝わっている膨大な古文書です。屋敷内に二つの土蔵があります。一つは「御文庫」で室町時代以前の、先祖伝来の典籍,古文書が収蔵されています。有名な国宝、藤原定家の日記「明月記」をはじめ国宝、重要文化財が詰まっています。他の一つは「御新文庫」といい「御文庫」の写しと江戸時代以降のものを入れてあり、蔵には当主と次の当主しか入ることが出来ないのだそうです。土蔵は私が想像していたより、小ぶりでこじんまりした感じでしたが、中には神棚が設けられ神聖な場所となっています。土蔵には屋根と扉が付けられていましたが、火災が近くに起こると瓦葺の屋根や扉は取り外すことが出来、土蔵は壁のかたまりのようになって護られるということです。
 台所は家族は決して立ち入ることはなかったそうですが、台所から土間に入った正面に祇園祭の長刀鉾で使われた「しゃぐま」という藁束が釣り下げられていて、魔除けとして飾られているのだそうです。お座敷の壁紙やお庭についていろいろ謂れなどを伺いました。前庭には左近の桜、右近の橘が植えられていました。普通の一般公開では見せてもらえないところまで見せていただき、有意義な一日でした。

2014年6月4日    
牧戸 富美子    


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やはりもう夏がやってきました。