会員だより目次へ前回の便り次の便り


京都南部の世界遺産を訪ねて
(その二)秀吉も見たかこの醍醐寺の桜



最初に戻る

(その二)秀吉も見たかこの醍醐寺の桜  いよいよ世界遺産の醍醐寺である。寺伝では874年空海の孫弟子の理源が醍醐山の頂きからこんこんと湧き出ているのを見つけ、そこに草庵を造って、観音像を安置したのが始まりとされている。室町時代に全盛を極めたが、応仁の乱等の兵火に巻き込まれ、廃寺同然になった。その後130年余りすぎ、親交のあった豊臣秀吉の援助のもとに代80世、座主義演が復興させた。その象徴が「秀吉醍醐の花見」である。3月末から4月上旬にかけて広い境内の枝垂れ桜は見事、絢爛豪華、雪景色を見るがごとしという他言葉がない。ひときわ目立つのは樹齢150年という大人3人がかりもある太い幹の枝垂れ桜か、国宝の五重の塔の前にかかる枝垂れ桜かはたまた奥村土牛画伯のモデルになった太閤枝垂れ桜か。秀吉が見た桜は多分代替わりしているであろうが、さすがの太閤枝垂れ桜も幾世代も耐えてきて支えが目立ってきた。三宝院のお庭には歴代の権力者が所有してきた「天下の名石・藤戸石」や亀島・鶴島などが名庭師によって配置されている。勅使門の屋根は檜皮葺き、正面は黒い漆塗り、その上に金箔を施された菊と桐の四つの大きな紋が異様に光っている。この御紋が目に入らぬかと言っているようである。醍醐寺霊宝院の中にも見きれぬくらい国宝や国の重要文化財が展示してある。五重の塔も日本三大名搭の一つ、他は法隆寺、山口の瑠璃光寺それぞれの五重の塔らしい。とにかく一生の中にこの三つの搭を見得た事に感謝しよう。 

< 2014年4月20日    
上村 サト子    


このページの先頭へ戻る