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千年来の悠久の道を祈りと共に歩く熊野古道
〜その(一)〜



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熊野三山とは熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社をいい、ここに詣でるには紀伊路と伊勢路があった。今の和歌山、田辺方面からの中辺路や大辺路からくる道は貴族や公家が多く、伊勢から今の尾鷲付近を通って熊野に詣でるのは武士や庶民が多かった。平安時代には蟻の詣でと言われたごとく、1日70〜80人、年には二万とも三万人もの人が峠を一つづつ超え、あらゆる祈りと罪滅ぼしを込め、せっせと歩いたのであろう。私も二年にわたる腰痛と骨折の快方を願って、伊勢熊野古道を歩くツアーに一人参加した。世界遺産として残されたこの道は現代人にも祈りの道として残されたのではないだろうか。
高槻発のバスは名神―新名神―東名阪―伊勢−紀勢と4時間近く走り三重県大紀町の山中の小公園に着いた。古人は伊勢からここまでたっぷり二日かかったと云う。今日は九台のバスが着くらしい。まさに現代の蟻の詣でである。まずは約30分山中を助走のごとく歩くと、ここから世界遺産という標識を見ていよいよツヅラト峠を目指す。道が世界遺産になっているのは、スペイン巡礼道だけである。熊に注意の上、念を入れて熊情報も書いてある。女性の語り部はこのあたりにしか見られない植物を教えてくれる。梅花黄連(ばいかおうれん)、伊豆千両、アリとうし、鹿木(かき)の木肌はまさに鹿の斑点のよう、おちこちに山桜が楚々と咲き、疲れをいやしてくれる。出発から1時間も登ったろうか、急に視界が開けた。伊勢の国と紀伊の国を分ける国境である。遠くに熊野灘がみえて、長旅の古人はさぞかし喜んだことであろう。この日は残念な事に峠寸前で霰に見舞われ、視界が悪くなったが、PM2.5で騒がれる日はもっと曇るらしい。ツヅラトとは九十九折と書き、細かく山肌に沿って曲がりくねっているので、前日の雨でぬれた石畳道を滑らぬよう注意して歩く。辺りは杉・桧くらいしか名は知らないが木々から出すマイナスイオンを胸一杯吸い込む。
有史以来、大雨の多い地帯で参詣者のため耐えてきた厳しい道は野面乱層積み(のづららんそうづみ)の崖と丸くなった石畳で守られてきたが、二か月前の大雨で崖が崩れ、一部補修中である。これからの千年が守られることを願って、海抜357メートルから海岸沿いの町海抜0メートルの紀伊長島魚まち(うおまち)まで一気に下る。ここはマンボウの町と呼び、売店にはさすがマンボウと鯨の串焼きが良いにおいをたて、食欲をそそる。バスは約10分走って又参加者を荷阪峠(にざかとうげ)という所に案内してくれる。薄く暮れはじめた寒い山中に御老人のボランティアが説明は今か今かと待っておられた。ツヅラト峠の後、江戸時代に出来た少しゆるやかな峠とのこと、説明を聞くのも程々に里心のついた私達は暖かいバスに乗り込んだ。勿論さんま寿司やめはり寿司の入った手作りの弁当を届けて下さった人達や二人の語り部さんの暖かい心も持ち込んで、一途高槻に帰ってきた。まず1日目のコースを無事行けますようにとの祈りは叶えられた。
2014年4月20日    
上村 サト子    


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