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西への歴史街道
〜旧きを訪ね、新しきを知る〜
【その3 広島県福山市鞆の浦編】



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 一夜明ければホテルの前は瀬戸内海に浮かぶ小島がバランス良く点在していて素晴らしい景色が広がっている。4月にはこの沖で大漁旗を掲げた豪壮な桜鯛船祭り行われる。昨夜のホテルでの鯛の兜煮とあわびのお造りの美味しかった事。
 鞆の浦は瀬戸内海のほぼ中央に位置し、このあたりで潮の流れが変わることから、古来、潮待ち風待ちの港として栄え、歴史的な事件やさまざまな伝説が残っている。網の目のような路地を歩くとあちこちに万葉・鎌倉・南北朝・江戸・明治・現在と日本の歴史が込められているのを感じる。特に港は江戸時代さらに整備され北前船や多くの商船が出入りしたり、江戸参府のオランダ商船や琉球使節団も11mの常夜灯を頼りにこの港から上陸し、江戸へ上がって行った。その際に海外の新しい文化も入ってきたし、富も生み出された。
   一番の見どころは対潮楼(福禅寺)だろうか。朝鮮通信使が毎回宿泊した所である。本国への報告に「日東第一形勝(景勝)」と賛辞をのこしている位、この広間から弁天島、仙酔島をガラス戸の枠の中に入れて見る眺めはまさに額縁入りの名画を見るごとし。  またいろは丸と紀州藩の船が衝突した際、海援隊を組織する坂本竜馬と紀州藩重役が交渉を重ねたのもこの広間である。竜馬が隠れ住んだとされる回船問屋枡屋清右衛門宅もこの近くにある。
 江戸時代の繁栄を伺い知る第一の豪商は重要文化財に指定され、当時のまま現存している太田家住宅である。主屋は18世紀中期の建物であり、炊事場、蔵、釜小屋など9棟が敷地内にある。海の庄屋とも言われ、海の特権と藩主より保命酒(ほうめいしゅ)の醸造販売権を得た富を蓄積したのであろう。この保命酒は焼酎ともち米と16種の薬草の混ぜ方が家伝の秘法。試飲してみるといわゆる養命酒よりもっと漢方薬の味と匂いの濃いものであった。明治時代に入り専売権が無くなると保命酒醸造業者が増加して競争が激化し、太田家は製造をやめたが、今も4軒が製造していて、夫々の軒下で勧められた。尊王攘夷派の三条実美等7人の公家が公武合体派に追われて長州に下る途中太田家でくつろいだ所でもある。この海の利を得た鞆の浦に全国から商人が集まり、支店を置き、夫々の宗派の菩提寺を置いたのが山側の寺筋である。これ等も数年前より一段と立派に社殿を造り変えていた。その中でも殊のほか眼を引くのは南禅坊である。浄土真宗ではあるが、中国風な風変りな山門(鐘楼門)。境内には宮城道雄の先祖墓があると言われるが由縁はわからない。
 もう一つ、この鞆の浦に来ている観光客を喜ばせるのは向いにある仙酔島への5分ほどの船の旅である。海流がきついのか橋がなく、いろは丸を模したフェリーに乗船。太古より七福神や龍神さま等の神々が鎮座されているという見所を散策して良し、温泉巡り良し、夏なら海水浴、塩工房体験、宿泊とあれこれ楽しめる。私達は国民宿舎で昼食と温泉利用。しらす丼がお薦め、実に新鮮でおいしい。蕎麦には焼いた石を入れてくれる。最後まで汁が温かいと。心意気がまた温かい。温泉は5種類の湯船で、海水温泉もあり、520円とこれまた値打ちがある。
夫々一度や二度訪れた事のある土地を健康であればこそ再び訪れる事の出来た喜びと新しい発見こそ旅の醍醐味と感謝して、一路高槻に車を走らせた。

2014-2-3    
上村 サト子    


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