会員だより目次へ前回の便り次の便り

長岡京期の服飾
〜常設展示の古代衣装を学ぶ〜


 上記の歴史講座が向日市文化資料館であり参加しました。
講師は服飾研究家の山口千代子先生でした。  高松塚古墳の壁画から、奈良時代、長岡京時代の衣装についてのお話でした。
 服装は官位、等級などによって服の色が定められていました。690年ごろは朱華(赤)が最高で、少し薄い赤、黒紫、赤紫の順、になっていました。赤は紅花から作られ何度も染めて、色が濃いほど高貴な色とされていました。また紅花は防虫効果が強く、赤い袴は女性の下着で後の地獄図でも刑罰をうける女性は赤い袴だけは着けていたということです。
718年ごろには最高の色が黒紫、次いで赤紫、薄い紫の順となっており、それはそのころには紅花が多く栽培されるようになって、希少価値が下がったからだと考えられているそうです。
 また当時の絹のキレはものすごく薄くガーゼのようなものだったそうで、夏も冬も同じで支給される服は1枚なので、それを洗濯する休暇があったそうです。
          2013年10月30日

記 牧戸富美子   
女官の朝服(690〜701年)
・色々の布を台形にして縫い合わせた巻きスカート裙(パッチワークの技法)
・細い腰紐を蝶結び
・袖口や、上着の裾から内衣を出す
・手に翳(サシバ)を持つ(飛鳥時代は円形・奈良時代は楕円形となる)
・細かいプリーツの裳を重ね着(下裳)
・裙と裳に明確な違いはない
・裳の内側を開いて説明された
高松塚の壁画にあるような、古代の衣装をまとったモデルさんたち(希望者)が次々と現れました。
当時の天皇、皇后や役人、女官、など彩も鮮やかに みなさんちょっとテレながら、でもうつむかずしゃんとしてとても立派でした。女官が手に持っているのは翳(サシバ)といって顔を隠すのに使われたそうです。

右端の方は天皇の服装、その左側の方たちは役人の衣装です。

天皇と皇后の服装です。

モデルさん、全員の総揃い

当時の仕事着で、麻製、女性は女布袍(オンナヌノノホウ・上着)下着は布裳(ヌノノモ)と言って巻きスカートです。

このページの先頭へ戻る