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“ 新緑の渉成園を訪ねて ”

 東本願寺の別邸、渉成園(しょうせいえん)を訪れました。別名、枳殻邸(きこくてい)のほうが有名ですが、渉成園とは、陶淵明の「帰去来辞」の一説、「園日渉而以成趣」(園、日に渉って以って趣をなす)から採って名づけられたということです。京都七条の東本願寺の東、烏丸通を隔てて約300メートルのところにあります。
 東本願寺は今、阿弥陀堂の修復中ですが、修復なった御影堂に参詣しその後、渉成園へ向かいました。
 受付を通り園内に入ると、そこはもう緑で一杯です。まず正面に石垣が見えます。高石垣といって、石橋のような長い切石や、礎石、臼石、山石や瓦など多様な素材を組み合わせて築かれています。
 左手から回るのが順路になっています。緑の木立の中に「園林堂」、「蘆庵」、「代笠席」などなど多くの茶室や持仏堂、書院などが建てられています。
 園の東南には印月池という大きな池があり、池泉回遊式庭園で、東山から上る月影を水面に映して美しいことからこの名が付けられたということです。
 池の周囲には縮遠亭、漱枕居などの茶室があり、回棹廊、侵雪端という優雅な橋が渡されています。
 また岸辺には、花菖蒲、あやめ、睡蓮などが美しい彩を添えています。ことに睡蓮は見事な花をつけていました。  池の北東岸に入り込んだ入り江の奥にある築山の石組みの下部に注水口が穿たれており、さわやかに水が落ち、小さな滝となっています。印月池の水源の一つとなっており、古くは高瀬川の水が引かれていたということです。
「獅子吼」といわれ、通常みられるような滝の石組みではなく、山腹から湧き出す泉のような形式に造られている点が、渉成園のなかでも珍しい景物となっているそうです。
 東本願寺は徳川家康から寺地を寄進され、その後三代将軍家光から東本願寺の東側の土地を寄進されました。十三代門主、宣如上人がここを隠居所として造営し、周囲に枳殻(からたち)を生垣として植えたことから枳殻邸とも称されるようになったそうです。また十二代教如上人と千利休との親交にはじまって茶の湯とのかかわりも深く、園内には多くの茶室などが残っています。また四季折々の花が見られ、渉成園十三花として鑑賞されています。今回は、黄菖蒲、睡蓮が特に綺麗でした。
 園内の建物はたびたびの火災で焼失しすべて明治以後に再興されたものだそうですが、作庭などは当初の状態を伝えており、極めて貴重な庭園遺構文化財となっています。
 時期的に花はそんなに多くありませんでしたが、何百種あるとも知れない木々の新緑が美しく疲れた心を癒してくれました。
      2013年6月2日
記 牧戸富美子   

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