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岩清水八幡宮に詣でて

<1--スライドショー自体の背景色です。この画面では写真サイズをそのまま使いましたので背景の黒は表示されません。上の250と188を少し大きくしてやると背景色が現れます。-->
 平安時代の初め、貞観元(859)年、南都大安寺の僧、行教が豊前の国(大分県) 宇佐宮に篭り日夜熱祷を捧げ、八幡大神の「吾れ都近き岩清水男山の峰に移座して国家を鎮護せん」とのご託宣を蒙り、同年、男山の峰に御心霊を奉安したのが、岩清水八幡宮の起源とされている。朝廷の崇敬も篤く度々行幸、御幸が行われている。
 男山は木津、宇治、桂の三川の合流点を挟んで、天王山と対峙する位置にあり、京、難波間の交通の要地でもある。この交通、政治上の要の地に鎮座し、わが国の平和と繁栄を導く神として多くの人々に崇められ、現在では八幡大神を祀る神社は、全国津々浦々に約四万社にもなる。
 清和天皇の嫡流である源氏一門は八幡大神を氏神とし、全国各地に八幡大神を勧請した。また八幡宮は厄除けの神としての信仰の歴史は古く、全国屈指の厄除けの神社として年間を通じ参拝に訪れる人が多い。
 この春一番の暖かい日に八幡宮を訪れた。京阪電車の八幡市駅からケーブルに乗り(約5分)、神社へ向かう。ケーブルの駅からだらだら坂の上りで、一の鳥居、三女神社を過ぎ本殿にいたる。ご祭神は、応神天皇、比(ひめ)大神、神宮皇后である。社殿は「八幡造り」といわれ、六宇の宝殿が作られている。本殿は桧皮葺で前後二棟からなり、その軒の接するところに織田信長寄進の「黄金の樋」が架けられているそうだがよくわからなかった。
本殿の後ろに回ると、若宮社、若宮殿社がある。どちらも応神天皇のお子様で若宮社は男性を守護する神様、若宮殿社は女性を守護する神様だとか。 参道の両側には古く苔むした石灯籠が並んでいた。
平日のことで、祭日でもなく、ほかに人影はなく静かな境内でゆっくりと神様と向き合ったような一刻だった。

記 牧戸 富美子  

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