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歴史的背景と写真説明

圓成寺
(File No. 1)

圓成寺(えんじょうじ)本堂には日蓮上人像と石窟造りの珍しい御堂の岩戸妙見宮があります。
<1--スライドショー自体の背景色です。この画面では写真サイズをそのまま使いましたので背景の黒は表示されません。上の250と188を少し大きくしてやると背景色が現れます。-->
下の写真をスライドでご覧頂けます。
圓成寺山門 圓成寺境内 岩戸妙見宮 境内自然石

光悦寺
(File No. 2)

本阿弥光悦が徳川家康から鷹ヶ峯一帯の土地を与えられ、親族、縁者や多くの工芸家、職人、法華宗徒等を率いて移住。
この地に光悦村と呼ばれるいわば「芸術村」を開き日本美術史上に偉大な足跡を残した。
境内には大正時代以降に建てられた七つの茶室がこの季節ならこそ紅葉とさらに趣をなしている。
その一つの茶室を背に鷹ヶ峯を望めば和歌や書、絵、技工、陶芸とさまざまな芸術家の活動が偲ばれます。
<1--スライドショー自体の背景色です。この画面では写真サイズをそのまま使いましたので背景の黒は表示されません。上の250と188を少し大きくしてやると背景色が現れます。-->
下の写真をスライドでご覧頂けます。
光悦寺参道 光悦寺参道 鷹が峯 茅葺釣鐘

源光庵
(File No. 3)

1346年臨済宗で創建されたが、その後衰退し、曹洞宗の名僧によって再興された。
本堂西に霊芝観世音像は第百十一代後西天皇が崇尊し、世に広く信仰された。
本堂廊下天井には伏見桃山城の遺構といわれ、関ヶ原の戦い時伏見桃山城を死守して自刃した徳川家康の忠臣鳥居元忠の血の痕跡が残っており、俗に「血天井」と呼ばれている。
本堂には「悟りの窓」と名付けられた丸窓と、「迷いの窓」という角窓があり、仏教の心理を表している。庭園は枯山水、秋は一段と風情を増す。
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下の写真をスライドでご覧下頂けます。
源光庵寺門 源光庵寺参道 源光庵寺境内 生け花
襖字 迷いの窓 悟りの窓 血天井

常照寺
(File No. 4)

1616年光悦とその子の寄進、発願によって日蓮宗身延山21代日乾上人開創。
1627年学問所鷹峯檀林設置。江戸時代の天下随一の2代目吉野太夫が帰依した寺で有名。
山門は23才の時私財を投じて寄進。才色兼備を謳われた太夫は唐(中国)にまで伝わって居たと言う。
京都の豪商に見初められ26才の時1300両で身受けされ、36才で病死。この寺に葬られ、お墓もあります。
<1--スライドショー自体の背景色です。この画面では写真サイズをそのまま使いましたので背景の黒は表示されません。上の250と188を少し大きくしてやると背景色が現れます。-->
下の写真をスライドでご覧頂けます。
吉野門 吉野遺芳庵 吉野墓 常照寺境内

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