VG槻輪会員だより
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志明院を訪ねて

加茂川の源流にある志明院(しみょういん)は役の行者が草創し、弘法大師が再興したと伝えられる不動明王を祀る皇室勅願所として知られる霊峰である。
晩秋の一日、知人の案内で寺を訪ねた。深山幽谷といえる山深いところであるが、車だとすぐ下まで行くことが出来る。
20段ほどの石段を登って入山料300円を払う。
目の前に宿坊があり、すぐ左手の石段を上がったところに楼門がある。金剛力士は右運慶、左が堪慶の作といわれている。
そこからは苔むした急な石段が続く。中ほどに一筋の滝が落ちている。飛竜の滝といって滝ごりの行場になっており、弘法大師が「行」の際に、山の守護神が飛竜となってこの滝つぼに入ったことから飛竜権現の霊が祀られたという。飛竜権現は水を司る神である。
再び石段に取り付き、必死に登る。山寺では石段に手すりがないので登山杖を用意して行ったが正解だった。
それでもふらついて支えてもらったり、下りにはポセットのベルトを持ってもらって助けてもらった。
やっと頂上といえる護摩洞窟にたどり着く。ここはかの有名な歌舞伎十八番「雷神不動北山桜」の舞台となったところ。
志明院の僧、鳴神上人が朝廷を恨み、三全世界の竜神を飛竜の滝つぼに封じ込め、そのため旱魃となったので朝廷が「雲の絶間姫」という洛中一の美女を遣わして、色仕掛けで上人を迷わせて破戒させ、竜神を封じ込めた護摩の岩屋の注連縄を切る。上人の法力は破れ、龍神は天にのぼり雨が沛然と降る。という筋書である。
洞窟はそんなに深くはなく、難病も治すという霊水が湧いている。掌にいただいて飲ませてもらった。
ここは山岳修行の、行場ということで今でも「行」をされているという。そのため楼門より中はカメラは駄目と受付で預かりとなった。
聞くところによると、作家の司馬遼太郎が宿坊に泊まったとき、障子ががたがたいう、地震でも突風でもないのに障子だけが激しく音をたてて揺れる。障子を開けておくと、今度は屋根の上で、小僧が四股をふむようにドスンドスンと響き、ついに一睡もさせてくれなかったということである。
京都のパワースポットといわれるだけあって「ナニカ」が出てきそうな雰囲気が感じられた。
「モミジ」は丁度見ごろの季節であったが、赤い色の木はなく、銀杏の黄色がとても美しかった。「ギンナン」を少し拾ってきた。境内には樹齢100年という石楠花の木があり初夏には3年に一度の「当たり年」があって美しいそうだ。そのころ、「柴燈大護摩供」が行われ、おき火の上を素足で歩く「火渡り行」は誰でも体験できるそうである。私には少しきつかったが、京都の神秘に触れた,忘れがたい一日だった。

記 牧戸 富美子     

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