42年間勤めたところを退職して間もなく、カナダへ旅行した。 元同僚が15人ほどあつまり、
小さな旅行会社で社長兼、添乗員(ツアーコンダクター)が私たちの要望を聞いて、私たちだけ
の計画を立ててくれるところを、誰かが探してきて一も二もなくそれに決めた。 当時はレート
がまだ240円くらいだったし普通のツアー旅行より大分割高だったが、ホテルはいつもその
土地の最高のホテルだった。
いま考えると小さいところなのでとんでもないリスクが想像され
るが、当時はそんなことを心配した覚えがない。
まだ30代のイケメンの社長はホテルを出て、観光に出発するとき、山本寛斎のブルゾンを着
て頭にバンダナを巻いて出てくると言うような人で、私たちと一緒に旅行を楽しんでいるよう
に見えた。 私たちの希望は大体かなえてくれた。 たださすがに15日間の旅行の最終日、みん
ながもっと日を延ばしてナイヤガラへ行きたいといったときは無理だった。
その添乗員は私たちが自分たちだけで喫茶店に入ったり、タクシーに乗ったりもさせてくれた。
私のその後の海外旅行でその経験が非常に役に立った。
さてカナダは広くて素晴らしい国だ。 当時でも治安はよかったし、人々は優しかった。
バンフでは、泊まらないでも見物に行くと言う「スプリングシャトウ」に泊まった。 建物やエ
レベーターは古かったが、重厚で気品があり、昔のお城のお姫様になったような気分だった。
レイクルイーズ湖では、「シャトウレイクルイーズホテル」に泊まった。 湖を隔てて氷河が正面
に見える立地で、折りから6月、白夜の季節。 午後10時になっても、11時になっても日が
暮れない湖面や、氷河をいつまでも眺めていたことを思い出す。
コロンビア大氷原では足下300メートルあるという氷河の溶けた水でウイスキーを割って飲ま
せてもらった。
その当事はあまりツアーには組まれないというビクトリアで綺麗な花園をいくつも見た。
この旅行で私には忘れられない恥ずかしい思い出がある。 バンクーバーで3,4人でタクシーに
乗ったときのことである。 目的地について料金を払い、車を出ようとすると運転手がドアーを開
けてくれない。 ちょっと待って見たが、開かない。 私は仕方なくたどたどしい英語で「open the
door please 」と言ってみた。 すると運転手が外に出て客席のドアーを開けてくれた。 そのとき
になって私は始めてドアーが自動でないことに気が付いた。
日本ではその当事でもタクシーのドアーは全部自動だった。 言い訳の英語は喋れないし、なんて
日本人は傲慢なのかと思われただろうと恥ずかしい。 カナダというと思い出して今で
も後悔している。
記 牧戸 富美子
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