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廬山寺の「源氏の庭」と梨木神社

 廬山寺の桔梗が満開と聞いて出かけました。
廬山寺は京都市上京区の京都御所に隣接する位置にあり、紫式部が生活していたところだそうです。
式部の曽祖父藤原兼輔から伯父、父へと伝えられた邸宅で、式部はその築100年の「旧い家」で一生の大部分をすごしたと言われています。
この邸宅で藤原宣孝と結婚生活を送り、一人娘の賢子(かたこ.大弐三位)を育て、源氏物語を執筆しました。
 現在の本堂は何回も火災に遭い改築されています。
天台宗円浄宗の大本山で、正しくは廬山天台講寺と言います。
受付を通って本堂に入ります。
中には源氏物語に関する、見事な貝合わせや源氏物語絵巻が展示されていました。
式部と賢子の小倉百人一首にとられた短歌の歌碑の拓本もありました。
  めぐりあいて見しやそれともわかぬ間に
   雲がくれにし夜半の月かな

紫式部  

  有馬山猪名の笹原風吹けば
   いでそよ人を忘れやはする

大弐三位  

 さて本堂の前面に目をやると、源氏の庭と称される庭が広がっています。
平安朝の庭園の「感」を表現した白砂と苔の庭です。
そして今、満開の桔梗の花が咲いています。
曲水のようにかたどられた白砂の流れの中に島のように苔がおかれその中に数株ずつの桔梗が咲き乱れています。
整然とした庭にすっきりと立つ数百本の紫の花、淋しい花のイメージがある花ですが、美しい紫の色に心が洗われるようなひと時でした。
廬山寺を出て、少し下がると御所の一部と言っていいところに梨木神社があります。
昔、来たとき大変なやぶ蚊になやまされたのを思い出しました。
境内に入ると濃い緑が体を包みます。
三条実満公と三条実美公をまつる神社です。
 維新の功績ある親子を御所の一部にまつられているのは、明治維新で東京遷都となり、京都御所が廃止されようとしたとき実美公が「それでは市民が可愛そうです。
それによって京都はさびれます」と明治天皇に進言され、それによって京都御所廃止案は中止となったばかりか却って「国家の大礼は京都御所に於いて行う」と定められ、そのため、大正、昭和の即位は京都御所で行われ、その都度京都は発展したと言われています。
この神社は萩の名所として知られていますがまだ時期ではなく、たった一株花を付けている木がありました。
やぶ蚊にはあいませんでした。

記 牧戸 富美子  

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