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平清盛の史跡を訪ねて

 NHKの大河ドラマ「平清盛」でブームになっている、神戸の清盛の史跡を訪ねました。
JRや私鉄の案内を見るといろいろのコースがあります神戸の地下鉄「ハーバーランド」駅、「中央市場前」駅周辺にいろいろあるので、そこを目指しました。
まず、ハーバーランド駅から「ドラマ館」へ行きました。清盛の生涯の事跡や経歴、NHKのドラマで使われた衣装や小道具が展示されていました。平清盛の服装をした人と写真も撮れます。
私たちの感覚だと、「平家にあらずば人にあらず」と驕り高ぶった平家は、なんとなく悪役のイメージでしたが、実は武家政権の世を作り、「宋」との貿易を盛んにし、港を造り、経済の発展にも尽くした人だったということです。
 そこから歩いて清盛の廟、能福寺へ向かいます。
能福寺は、清盛が剃髪入道した寺と伝えられているところで、大きな大仏様がありました。日本三大大仏の一つと言われているそうです。
そこから少し離れたところに清盛塚があります。十三重の塔で、清盛の墓と考えられていましたが、大正12年の調査で1286年に建てられた供養塔だと判ったそうです。清盛が没したのは1181年です。
続いて中央市場前の「歴史館」を訪ねます。
ここはほとんどパネルが多く、その時代にあったことや、清盛の経歴や、出世街道をひた走る清盛の姿が表示されていました。
館の外ではその時代の衣装を着た方たちの写真撮影も行われていました。
次に向かったのは、和田神社です。和田神社は清盛が宋との貿易のために開こうとした大輪田泊の改修工事が難航したとき、事業の完成と平家の繁栄を祈願して、宮島から市杵嶋姫大神を勧請したものです。
最後に三宮にある「生田神社」にも足を伸ばしました。生田神社は神功皇后が、新羅遠征の帰還の途、船が進まなくなったことから祀られた由緒ある神社ですが、源平一ノ谷の合戦の際、平家軍はこの生田の森を東の城戸として陣を張ったところです。
境内にある「生田の森」は「生田の浦」とともに「後撰和歌集」「続千載和歌集」ほかに、和歌に詠まれていると言う有名なところです。いろいろ清盛に関する史跡を見てこれから見る「大河ドラマ」の見方も変わるかもしれません。
      2012年5月4日
記 牧戸富美子   
※ 写真をクリックしていただくと説明が出てきます。


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