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湊川神社(楠公さん)に参拝して!!


 兵庫県中央区多門通にある湊川神社へ行ってきました。
湊川神社は、楠公さんと言われ親しまれています。
 湊川神社は、鎌倉幕府を倒し、建武の中興に尽力した河内の英雄、楠木正成(くすのきまさしげ)を祀る神社です。
正成は1331年、後醍醐天皇の命を受け、河内の赤坂城、千早城などで奇策、智謀により鎌倉幕府軍と戦い、功を立て建武の中興を成功させました。
 しかし中興は長くは続かず足利尊氏の謀反により再び戦いとなりました。
一旦は九州に落ちた尊氏は勢力を盛り返し、大軍を擁して攻め上ってきます。
そこで正成は形勢不利の戦と知りながら、兵庫に迎え撃ちます。
兵庫に向かう途中の摂津桜井の駅でわが子、正行(まさつら)に後事を託して出陣します。
有名な「桜井の子別れ」です。
 尊氏軍を湊川で迎撃した正成は、敵は数万、味方は七百余騎、激戦の末、衆寡敵せず弟、正季(まさすえ)と「七生滅賊」を誓って討ち死にしました。
(ちなみに尊氏はこの戦に勝利して室町幕府を興し、南北朝時代が始まります)  幕末から明治にかけてお祀りしたいという国民運動があり、明治天皇の神社創祀の御沙汰書があり、楠公終焉のこの地に祀られる事になったのです。
 それより先、1692年、徳川光圀が墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立、建武の忠臣の偉業を顕彰しました。
湊川神社の境内に正成の墓とこの墓碑もありました。
楠木正成は大楠公、子供の正行は小楠公と呼ばれています。
 また境内に宝物館があります。
展示室には、堂本印象,横山大観、前田青邨などの日本画や、正成一族の霊牌、室町時代の、鎧、兜、弓矢などが展示してありました。
 拝殿は戦災で焼失したとかでコンクリート造りでした。
拝殿の天井は格天井で、中央に龍の絵があり、周りには花々の絵が描かれてありました。
境内は広々として大樹が生い茂り、爽やかなたたずまいでした。
 場所は阪急電車の「高速神戸」の東出口を上がったすぐ前です。

※「桜井の子別れ」については、「桜井の里を訪ねて!!」をクリックしてご覧下さい。

文責 牧戸富美子     


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