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“ 細川家の至宝展を観賞して ”

 細川家の至宝展は、京都国立博物館で2011年10月8日〜11月23日まで開催されます。
良き秋の日(10月17日(月))、館の閉館日にゆっくりと観賞する機会を得ました。
東京・目白に位置する永青文庫は、旧熊本藩主であった細川家が所蔵する宝物を永く護り伝えていくため、昭和25年(1950)、第16代当主の護立によって設立されました。その所蔵品は「文武両道」の細川家にふさわしく、バラエティ に富んでいます。そこに護立によるあらたな収集品も加わり、コレクションは8万点を超えます。 細川家は京都とのゆかりが深く、初代藤孝(幽斎)が 織田信長のもとで頭角をあらわしたのが、長岡京市の青龍寺城(勝龍寺城)を居城としていたときです。また、菩提寺も京都・建仁寺の塔頭永源庵(現在の正伝 永源院)でした。永青文庫の名は、両者から最初の一文字をとったものです。
そのコレクションを一堂に会する展覧会が京都国立博物館で開かれている。
細川至宝展は、仏像、武具、馬具、絵画、衣装、茶道具、その他諸々、いろいろあって、期待した以上の量と素晴らしさ、賑やかさでした。

京都国立博物館正面
細川至宝展を観賞して、 古文書や衣類の保管の良さには非常に良く驚かされました。

短刀「無銘正宗(名物庖丁正宗)」、その美しさに絶句、鍛えた鋼の光沢と冴え、これが600年も前の作なんて思えません。
今、仕上がったばかり のような、刃の稜線、その艶やかさ、吸い込まれそうな世界です。

「細川ガラシャ」は、名前を玉といい、永禄6年(1563)明智光秀の娘として生まれました。 16歳の時、織田信長のすすめで、戦国大名で勝龍寺城主細川藤孝の長子忠興のもとに輿入れしてきました。 細川ガラシが、細川家の家臣松本家の人々に送った書状など展示されています。
流麗な筆跡の美しい仮名散らし書きで文面からは周囲の者への細やかな心配りなど読みとれこれこそ書の芸術品と感心した。

菱田春草、六曲一双屏風『落葉』 全体の絶妙のバランス、一つ一つ、微細な、精密な描写、そして大胆な省略…。

永青文庫理事長の細川 護熙氏がこれだけ多くの美術品が保存管理出来たのは、歴代の方々の努力があった事と 戦災に遇わなかった事ですと言われています。このことは、戦争によって如何に多くの日本の宝物が灰になたってしまったことか。

記:大岡 成一


細川家の至宝展ポスター表

細川家の至宝展

細川家の至宝展ポスター裏

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