職場がお台場にある娘婿は連絡が取れないまま夜になり心配でした。 その後ママがパソコン、ツイッターでパパのメッセージを見つけ「パパは 6時過ぎに同僚と二人でタクシーを捕まえ乗車した!」と解りほっとしま した。 キッチン、ダイニングとリビングを片付けて全員が一緒に横になれる ようにお布団を敷き子供達は10時に寝ました。 その後其々の携帯電話に余震警告音が鳴る度に子供達を起こして、 廊下に集合、ジャンバーを着てヘルメットをかぶり、揺れが治まるとお布団 の中に〜の繰り返しでした。 玄関のドアを開けたまま過ごし、やっと深夜1時過ぎにパパが帰宅。一同 安心しました。 それにしても普段25分位の距離がなんと6時間半とは!震災後ずっとTVをつけていましたが、次々と映し出される東北地方の壊滅的なシーンに涙が出ました、更に福島原発の深刻な事態に自分達は不幸中の幸いと思えました。 家具の殆どは倒壊防止策のお陰で倒れませんでしたが、立てかけただけのお琴が2台倒れ、壁の振子時計の窓が開き絵画も傾いていました。 以前からの各自の非常用リュックと飲料水、使い水の確保も4、5日なら 足りましたが1番困ったのはトイレでした。 4日目の15日に小学校閉鎖と決定!それなら安心、安全な大阪に! と 孫二人を連れて戻り、京都駅に着くと平和な平常の生活・・・ たった2時間半でこのギャップ?ヘルメット姿の子供達が変な感じでした! つくづく水の大切さを思い知った体験でもありました。 記 K.N
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