前略ごめんなさい、 娘の介護に来ましたが なんと震度6という激震を体験することになりました。 ほんとにここで死ぬ!とおもいました・・・ お琴が2箏とも倒れ振り子時計の扉が 開いて傾き〜などしましたが 家具は転倒防止策のお陰で大丈夫でした。 ここ新浦安は埋立地で地震15分後にはもうあちこちから液状化でぶくぶく泥水が噴出し道路はぼこぼこと盛り上がりました。 娘婿はその日の夜7時にお台場から同僚と二人で タクシーに乗ったもののボコボコ道路と液状化で通常20分の距離をなんと6時間半かかり深夜1時半に帰宅。 それまで何度も余震の揺れで 帰宅時にドアが開けられなくなるのでは?と、開けたままにしました。 幸い電気だけは使えましたのでほんとに助かりました。 こんな時 女、子どもだけではほんとに心細いことでした。 今日になり 震度3くらいの余震もぐんと少なくなりほっとしてくたびれが出ました。 TVは信じられない悲惨な激震と大津波の光景の連続、なんと自分達は幸せ!と思ったことです!こんな広範囲の大惨事、涙がでます・・・ 5分くらいのところにあるイトーヨーカ堂は 地盤が下がりエントランスが 4、50センチの段差ができています。 学校も明日は休みですが、その後はどうなりますか? 無事ですので皆様にどうぞよろしくお伝えくださいませ。 記 K.N
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K.Nさんを心配していましたが無事でよかったです。 私も茨城土浦に弟一家、東京には二人の娘家族他姪、甥家族が沢山いますので、様子を訊いていますが、揺れは阪神大震災の比較ではない、余震も本振に負けない強さだそうです。 娘婿も都心から三鷹市まで6時間近く歩いて帰ったそうです。 会社にいる方が安全と思われるのに帰宅命令がでた。 孫のスクールバスがいつもより4時間強の時間がかかった。 姪は都心から帰れずホテル泊、その主人も同様、その姪の二人の小学生の子供は学校が迎えに来るようにと連絡あり、私の娘が幸い同じ町なので迎えに行けましたが、知り合いがなければどうなっていたことやら。 都心からの帰宅者で道は混雑、他の親戚は自転車を買って乗って帰ったとか、マラソンスタイルを買いそろえて帰る人、ホテルも満杯、椅子にもたれて夜を過ごした人、凄まじい様子だったそうです。 震源地が都心だったらと想像が尽きません。 阪神の時もそうでしたが、 @今回もまだ電話が通じる間に無事情報を被災本人から発信するのが大切だと思います。 A東京同士、家族同士で通じないので、私が4家族の連絡の中継点になりました。 地理的に離れた地点の中継が必要です。 記 S.U
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