VG槻輪会員だより
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鞆の浦・仙酔島を訪ねて  −− 2010.2.16〜17 −−


鞆の浦(とものうら)は、広島県福山市鞆町の沼隈半島南端にある港まちです。
古くから、潮待ち風待ちの港として、大陸との交易、また北海道や北陸の日本海と大坂とを結ぶ北前舟の寄港地として栄え、多くの寺や商家をはじめとする名所旧跡が数多く残っているまちです。
かつてこの町では多くの武人、文人、芸術家が交わり、先進的な瀬戸内の歴史と文化を形作ってきました。
船が風 と潮の流れを利用していた時代、瀬戸内海の潮の分かれ目となる鞆の浦には、潮の満ち引きを待つ船が集っていました。
鞆の浦には狭い町並みに由緒有る寺が19ヶ寺、神社が数十社立ち並ぶ心霊のまちでもあります。

仙酔島(せんすいじま)は、鞆の浦に浮かぶ島で、"仙人も酔ってしまうほど美しい島"という意味だそうです。
古代より潮待ちの港として栄えた鞆の浦において、隣接の弁天島と共にシンボル的な存在の島で、外周約5キロほどの無人島である。
島内にはホテルや国民宿舎・キャンプ施設があります。
約9000万年前の大規模な火山活動により主に溶結凝灰岩で形成されたもので地質的に非常に希少なものとなっているとのこと。
日本で最初の国立公園・瀬戸内海国立公園に指定された仙酔島には太古の自然が今なお残っています。
島の宿(国民宿舎)では、お客さんを「お帰りなさい」と迎えてくれます。
部屋には、「新聞」・「テレビ」もなく、島の自然と自分だけの貴重な時間がゆっくり、ゆっくり過ぎて行きます。
又、日本の「夕日の宿百選」に選ばれ、部屋の前の砂浜から壮大な夕陽を楽しむことが出来ました。

保命酒は、鞆の浦の特産で、大坂の医師中村吉兵衛が考案した薬用酒で万治2年(1659年)に鞆で製造を始め代々中村家が独占的に製造・販売を行っていた。
明治時代になると複数の業者が類似の酒を製造し保命酒として販売し始め、現在は4社が伝統の独自の製法で創っているとのことです。
保命酒には、地黄、茯苓、山薬、など16種類の生薬が用いられていることから、保命酒の正式名称として「十六味地黄保命酒」と言われています。

記 大岡 成一   

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