くもり空でしたが温かい朝の9時に第一斑は出発しました。 藤井竹外邸址をかわきりに野見神社の境内に入ってきました。 永井神社の各種ご門のまえでは、いつも見落としている立派な木彫りの造形物 についても先生のわかりやすい説明をして頂きながら感心して眺めることができました。 高槻城は南北朝入江氏、和田、高山、永井家まで続いたお城でしたが、明治7年の鉄道建設のためこの歴史的価値を持つ、お城の石垣を破壊し鉄道用石材として使われたとお聞きして、腹立たしさを覚えました。 その時代の行政施策により文化財や史跡が失われてしまったことを痛感し残念です。 今は城址公園として緑豊かに整備されましたが、史跡の「三層の天守閣」や「高槻藩士の学校」としての「菁莪堂跡」(せいがどう)など建物が残ってないのが観光施設の目玉不足です。 高槻の教育行政、文化施設の整備の遅れは戦後からずっと続いているようで何か吹っ切れない思いです。 40年も高槻市に住みながら、 京口、寺町など昔の城下町の面影が残っている街並みに行ったことがなく、今回の「わがまち史跡探訪」に参加してはじめて知り、もっともっと高槻を知りたいと思いました。 記: T.N |
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