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" 秋の夕日に輝く黄金の方丈(普門寺) "
歴史資産を活かしてまちづくり(富田)

富田地区 交通まちづくり研究会  〜歴史資産を活かして“まちづくり”〜
平成21年11月6日午後3時頃、高槻市の学芸員の方の説明で普門寺を訪問しました。
訪問するたびに新しい発見があり魅了ある“富田のまち”です。
今回は秋の夕日に輝く黄金の方丈を皆様に紹介でき幸せです。

普門寺の庭園を見学
寺内町として栄え多くの寺社が立ち並ぶ富田町の一角に臨済宗・慈雲山普門寺があります。
表門をくぐり境内に足を踏み入れると、明の高僧隠元禅師が作ったとされる石畳があり、境内奥にある方丈(国重要文化財)へと導きます。
  方丈は桁行七間、梁行五間半で入母屋造、桁行方向に三室を梁行方向に二列に配した六間取りです。
秋の夕日に輝く黄金の方丈は、また格別の輝きを放しています。

秋の夕日に輝く黄金の方丈
  普門寺は、明徳元年(1390)、建長寺蘭渓派の僧、説厳(せつがん)によって開創、永禄年間(1556〜1569)には、細川晴元が入山しています。
  境内地の北端から南端にかけて土塁が残り普門寺城城郭の面影を見てとることができます。
  方丈の東側の一室からは、普門寺の北方に広がる美人山とも呼ばれた阿武山を借景して造られた枯山水庭園を観賞することができます。

夕日に輝く黄金の方丈
  境内の一角には細川晴元の墓と伝えられる宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建ち、遺構の土塁とともに秋の夕日に照らされていました。
 隠元は、宇治に黄檗宗の総本山 である萬福寺を開創して移るまでの約6年間を普門寺ですごし、その間、普門寺は一時黄檗宗に改宗し、禅寺として大いに栄えました。
隠元書「獅林」の大額は、方丈の一角にあって通路から見学することが出来ます。

秋の夕日の中の枯山水庭園

秋の夕日の中の宝篋印塔

隠元禅師筆『獅林』

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