会員便り
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" 高槻の天神さん、真上氏のルーツを辿る! "
散策に参加して(その2/3)


牛飼山霊松寺
← 牛飼山霊松寺
・正親町天皇の勅願寺、中世真上氏の菩提寺として成長、真上村民の崇敬を受ける。
・元は真上氏の牛馬放牧地であったので、牛飼山という。
・そこに小さな地蔵堂が建立されたのが始まり。

 


田中城跡
→ 荒神塚
・文政3年(1820)真上村庄屋田中六右衛門の裏山が崩れ、そこから木棺が見つかる。中に遺骸と墓碑があった。墓碑から、奈良時代の藤原仲麻呂政権の官房長官的存在であった石川(蘇我)年足の墓と判明、当時は白髪郷であり、真上郷でなかったこと、後年垣武天皇の皇子時代の名「白壁皇子」をはばかって改名されたとする記録と一致。現在高槻唯一の国宝

荒神塚
↑ 田中城跡
・平安〜鎌倉まで存在した鎌倉幕府西国御家人真上氏の支城田中城があったところで、宗家真上氏が鎌倉幕府とともに滅亡した後、庶子家がここに館を構え、室町時代に新興の芥川氏と縁戚関係を結ぶことによって15世紀末、応仁の乱修了頃まで芥川真上氏の居城として存在した。
・現田中家屋敷は城跡であり、前に開ける田んぼは馬場の跡と推定される。 中世武士の館を彷彿させるものが今に残る。

年定神社
古藤先生は、「芥川上流域における水論の史的研究」は発表しておられるが、服部・真上地区の水路についても研究されています。
真上地区の放水路をみる。江戸時代、用水と不要な水悪水はどちらも農民にとって命に代わるくらい大事なものであったと現地を見ながら解説して頂きました。

水路

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