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“赤紙配達員”
母の戦争体験談

月刊現代表紙 月刊現代に母の戦争体験談が掲載されました。
103歳<赤紙配達員>の述懐
<赤紙>と言ってもお若い皆さんは何のことかとお思いでしょうね。
赤い紙に書かれた召集令状
103歳の今もお元気な西村さんは昔役場で<兵事係り>をしておられてた。
召集令状を配達する役目で、親の気持ちを考えるととても辛かったそうですが 使命ととして届けなくてはならず・・・
西村さん談
 母の家に召集令状を届ける時が一番辛かった。
出征した5人の息子さんのうち3人が戦死しておられる寺田家(母の実家)に赤紙を届ける時。
寺田さんは「そうですか、又きましたか」とじっとうつむいてぼろぼろ涙を落とされたことがありました。
どの家も働き盛りの息子や夫を軍隊にとられ、戦争で命までとられるかも知れない。
赤紙を配るのは辛いことでしたが、国のため、役目だと思ってやりました。
「当時、村人はみんな、自分の家に西村が来なければいいと思っていたはずです。
私が自転車に乗っていると、どこに行くのか、いつもみんな注目していました。
」 また西村さんが来はった。
西村さんにとってもっともつらかったのが、<戦死公報を届ける仕事だった> 出征した5人の息子のうち3人が戦死した寺田家に、二通目を届ける時 前にもまして心が重く、寺田家の長女で小学校教師だった利枝さん(私の母)に先につげて両親に伝えてもらおうと考えた。
村を流れる姉川の土手で利枝さんに話したのだが、それを六男悟さんが偶然、目にしていた。
本文 「姉と西村さんが何か話しながら、うろうろしているのが見えたのです。
どうしょう〜〜〜何かあったんだ〜〜
また誰かが戦死したんだとすぐ分かりました。
お袋にどう言おう、お袋はどんなに気落ちするだろう
私は頭をかかえました・・・」
そして利枝さんが両親と悟さんに、つらい知らせを伝えたとき、利枝さんの口から
『またや・・・』という言葉しか、すぐには出てこなかったという。

<月刊 現代> から母 利枝の所と 叔父 悟ところに記者が来られて、
体験談を聞いて記事にされました。
私もそれほど戦争体験はありませんが(うそ〜〜〜と言わないで)母によく聞かされました。
母は弟の戦死公報を何故私が両親に伝えなくてはいけないの〜〜〜どんなにつらかったか・・・
弟三人も戦死・・・戦死した叔父にはよく可愛がってもらって、どこに行くにもついていったことが今も思い出されます。
お国のためとはいえ、立派に育てた息子達を戦争に・・・そして戦死
親の気持ち考えるとたまりません。
西村さんや母の話を聞いているとドラマが出来そうです。
西村さんや母は生き字引・・・いつまでも元気でいて欲しい〜〜〜

★二度と戦争がおきないょうに願っています。

M.K        


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