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★古曽部焼窯跡(こそべやきかまあと)

古曽部焼窯跡  古曽部窯は、寛政年間の始め(18世紀末)頃、京都で製陶技術を習得した五十嵐新平(いがらししんぺい)が、古曽部で開いた登り窯である。
江戸後期から明治時代の間、古曽部焼は庶民的な陶器として親しまれたが、四代目信平在世中に窯が廃された。
ここで焼かれたのは、主として日用の雑器(飯茶碗・小皿・湯飲み・土鍋・火鉢など)であったが、合間に抹茶椀・水差し・菓子鉢・香合・茶托なども焼かれた。
作風は荒々しく力強い初代、民芸的な二代目など、全体的にはひなびた味わいがあり、とくに茶器は京阪の文人たちにも愛好された。

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