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 ★★★西冷印社★★★

 中国の金石印材の保存、篆刻の研究を目的として成立した学術団体です。
  名前の由来は西側の西冷橋の名前から付けました。
 孤山の南側の麓にあり、傍には有名なレストラン、楼外楼があります。
 中国の金石篆刻は、書道と彫刻が一体となった、中国独特の芸術文化です。
 中国で判子(印章)が使われ始めたのは2千年以上前の戦国時代です。しかし、彫るにせよ、鋳るにせよ、全て職人の仕事でした。文人が手を染めるようになったのは元、明以後で、次第に篆刻芸術の各流派が形成されていきました。
 浙江省の金石篆刻芸術は18世紀、清の乾隆帝の時に全盛期を迎え、その時に「浙派」と呼ばれるようになりました。
 1904年に杭州に金石書画の研究団体が創設され、1013年に呉昌碩先生を社長とする「西冷印社」が正式に発足しました。
 これは国内はもとより、日本からも有名な篆刻家河井仙郎、長尾甲らがはるか海の向こうから、入会を申しこみに来たほどの反響を呼びました。
 西冷印社の社員は広く内外の404名にもなりました。その中、今では、108名のメンバーが亡くなりましたが、296人の篆刻家が元気に活躍しています。
 毎年、春と秋の2回、清明節と重陽節に各自の作品や収蔵品を持ち寄って展示し、研究、観賞し語り合います。
 西冷印社の庭で、有名な建築物には竹閣、漢の三老石屋、華厳経塔があります。  竹閣は唐の時代の大詩人-白楽天が建てたといわれ、西湖で遊ぶ時、決まって竹閣で休憩しました。
 三老石屋は後漢52年、石碑「三老諱字忌日碑」を収めています。
 これは、1952年に余姚市で出土されたもので、浙江省内にある石碑ではもっとも古く、内外の考古学者から珍宝と見なされています。
 西冷印社でいちばんの見所といえば、華厳経塔です。1924年に建てられた塔ですが、11段に分かれ、金剛経、華厳経、十八羅漢像などの彫刻が施されています。ちなみに塔の後には呉昌碩記念館があります。
 【西冷印社の印泥】
「夏に油を滲まず、冬は凍らず、浸水に色褪せず、その色澤古雅にして千年不変」と定評がある印泥の王様。
 ● 印泥は3つの基本的原材料と補助材料で構成します。
  1、しゅ砂(硫化水銀) 2、油脂(ヒマシ油)3、繊維(モグサ)それに顔料、添加剤を加えて調合します。