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★★★六和塔★★★

 六和塔は銭塘江の北側にある月輪山の上に聳え立つ塔です。記載によりますと北宋、970年に建立されました。
 昔 銭塘江の逆流が非常に激しいため、河の両側の堤防が崩されて土地や家屋も流されました。呉越国の国王銭弘俶がその逆流を鎮めるために造ったもの、と言われています。当時、灯台の役割も果たしていました。
 塔の名前の由来には諸説あります。
一つは、北宋の時代、塔の後ろにはお寺があって、そのお寺の名前を六和寺といいました。六和というのは、仏教の六つの戒めを指します。則ち、妄語、偸盗、邪淫、飲酒、殺生の禁止、臭いもの、たとえばにんにく、にらなどを食べてはいけない、この六つの戒律のことです。ここからとって、六和寺と名付けられ、塔もお寺の名前から六和塔と名付けられた、と言われています。
 また別の説によれば、水滸伝の中の有名な人物、魯智深、武松、林冲その三人が六和寺で出家したそうです。東南西北と天と地の六つの方角のことを、六合といいますが、六 "合"と"和"の発音が同じなので六和塔といわれた、という説もあります。
 塔は完成してから、何度も戦火にあいました。今の塔の中心部分が南宋の時代1年間かけて造られたものですが、塔の外側の木造の部分は、1900年に修復されたものです。その後また何回も修復されています。
 外側が木造で、真ん中はレンガ造りです。レンガとレンガの間に石灰、もち米のおかゆ、卵を混ぜて接着剤として作られました。
 高さが59.89メートルで外から見ると13階建てに見えますが、実際,中は7階しかありません。螺旋状のような階段があり、226段あります。頂上まで登ることができます。塔は八角形の形をしています。
 各階のひさしにはもともと航路の標識として提灯がつけられていましたが、火事が危ないので、そのかわりに104個の鉄の鈴がつけられています。
 文献によると、最初塔は9階建てで、170メートルあったそうです。北宋の有名な職人喩皓も設計に参加して、彼の書いた木経によって造られたそうです。
 六和塔は1961年に国の重要な文化財に指定されました。