” ポンペイの輝き サントリー美術館展の鑑賞”
S.O
日時:平成18年11月23日(木) 場所:サントリー美術館 私とイタリア人とのつき合いは、約40年前(1967)パキスタンで、イタリア、フランス、アメリカ、日本の5カ国で総合コンビナートの建設を約5年間にわたり行ったとき、紅茶を楽しみながら自分の国の良いところ紹介したときからです。 その時にイタリアとは、何と古い歴史のある国だろうと驚きを持って話を聞いたものです。 その後数回イタリアを訪問しましたが、2005年に始めてポンペイを訪問しました。 訪問の様子は、「ポンペイ(Pompei)遺跡紀元前8世紀の生活を見る」で紹介しています。 ポンペイは、ヴェズヴィオ火山の爆発によって滅びた街です。 西歴79年8月24日、恐怖の大王は降ってきた。 紀元前8世紀に建てられたポンペイは、紀元前80年にローマの支配下にはいった。 当時のローマ人から見ても、ここポンペイは南国の楽園だったのだろう。 金持ちが集まっていた雰囲気が今でも遺跡として残っている。 ポンペイのあるリッチマンの豪邸と生活。 こんなローマ人たちが集まっていたポンペイだからこそ、恐怖の大王が降ってきたのかもしれない。 |
美術館玄関のポスター |
堅琴弾きのアポロ |
火山灰の下に飲み込まれたには、放蕩なローマ人だけではなかった。 彼ら使われた奴隷やその家族たちも皆、死んでいった。 当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほどだった。 真夏の8月にヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。 ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。 屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は人口の1割、2000人と考えられている。 当時の人は、奴隷と言えども同じ人間としてつき合いていた、それが遺品の中に残っていることは嬉しい事です。 |