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プーシキン美術館展を観賞して

梅ほころぶ3月上旬に美術鑑賞として世界に誇るロシアのプーシキン美術館が誇る美術品を観賞する機会をえた。
ゴーギャンalign=center ロシア・モスクワのプーシキン美術館が誇る、印象派を中心とする名画の数々が日本にやってきました。
 19世紀末から第一次世界大戦までの短い期間に、2人のロシア人実業家がパリで精力的にフランス近代絵画を集めました。
 2人は当時認められたばかりの印象派に端を発し、マティスやピカソなど一般に評価の定まっていない芸術家たちの作品も購入するなど、優れた審美眼により質の高いコレクションを成しました。
 セルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフ。その2人のコレクションの一部を、日本で初めて同館からまとまった形で公開です。
しかし、2人のコレクションはその後、数奇な運命をたどります。1917年にロシア革命が始まると、コレクションや自宅が国有財産にされてしまいました。
しばらくは美術館として市民に開放されましたが、前衛芸術を嫌うスターリン体制下で、閉館に追い込まれます。
1948年には2人の個別のコレクションが約350点からなる一つのコレクションとしてまとめられたうえ、プーシキン美術館とエルミタージュ美術館に分蔵されることになりました。それが今日残る「シチューキン・モロゾフ・コレクション」です。
 展覧会は中之島の国立国際美術館で2006年1月11日〜4月2日されています。
世界屈指といわれるフランス近代絵画コレクションを日本で鑑賞できるまたとない機会だと思い観賞しました。
 シチューキンは自宅を友人らに開放し、ロシアの若い画家にフランス近代絵画にふれる機会を与え、その後のロシア・アバンギャルドの興隆に大きく寄与した。
 ボナールには自宅の階段を飾る3幅対の作品「地中海」を依頼し、同じナビ派の画家ドニには音楽室の壁画を依頼。画商、批評家、画家の意見を良く聞きながら慎重に作品を選び、質の高いコレクションを作りあげた。シチューキンにマティスとピカソを紹介され、シチューキンほど多くはないものの重要な作品を購入している。コレクションは1913年までにフランス絵画だけで140点以上を数えた。
セルゲイ・シチューキンとイワン・モロゾフは、ロシア革命後海外逃亡するが、収集は国のため、国民の為に収集したものだと言っています。

↑ ポール・ゴーギャン
《彼女の名はヴァイルマティといった》
1892
タヒチの神話に伝わる、神にみそめられ女神となった美女を描いた作品。ゴーギャンは同時代のタヒチ美人をエジプト壁画風に描き神話上の女神を表現している。
西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに渡ったのは1891年4月のことであった。しかし、タヒチさえも彼が夢に見ていた楽園ではすでになかった。

→ パブロ・ピカソ
アルルカンと女友達(サルタンバンク)
1901年
青の時代1900年から02年の間20世紀初頭パリに出てきた、ピカソは好んで哀愁のある旅芸人の姿を描いた。黒い輪郭線で色面を囲んだ描き方にゴーギャンの影響がうかがえる。
2人は別々の方向を見、思いも一つになっていないが不自然でない。

S.Oより         

ピカソ
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