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"ボランティアの想い"


 2015年1月17日、神戸淡路大震災から20年になりました。
私は、毎年三宮東遊園地公園の神戸・淡路大震災追悼式典に参加しています。
夜中の3時に起きて寒さの国道を走り会場に、今年(2015年)が20年と云う節目とあって例年になく超満員一寸の隙間もないほどせした。
 当時、私がボランティアとして活動出来たのも会社が定年退職となり時間的余裕があったことです。最初は見物がてらに現場に入ったのだが。
中学時代に近所の火事の消火を手伝ったことを思い出し、これではいかんと気づいた。
苦難にさらされている人達を放ってはいけない思いが強くなり後にはひけなくなりました。少しでも手助けが出来ればと「神戸元気村」に所属し、昼夜を問わず走り回った。神戸市灘区石屋川公園でのテント生活は本当に寒かった。
 炊き出し、ガレキ処理、家宝(アルバム、位牌、金銭・通帳・印鑑など等)被災者本人にとってはかけがえのないものをガレキの中から探しました。
 体調不良の人を病院へ連れて行く。緊急移動の人達、障がい者等への支援、いくら人が居ても足りない状態が続いた。
 今までに経験したことのない仕事が連続し手一杯だった。
 作業の合間を縫って、手品、落語、紙芝居、歌謡曲歌手などのコーデネート、司会もしました。
外国からの取材者やボランティアの方と一緒の行動をしました。
避難地は、各学校のグラウンド、各地の公園、海岸のポートアイランド、六甲アイランド、それに西神ニュータウンなど各地に点在し、不特定多数の人達そして、その一人一人がストーリー、ドラマを持っていて、老若男女から貴重な勉強をさせて貰った。
 各地に仮設住宅が建設された。引っ越し荷物は少量でも軒数が多く大変だった。仮説住宅の建設用地がよくあったものだ。
両親や片親を亡くした子ども達を富士登山に同行したこと。老人を温泉に連れて行ったり、花火を見に連れて行ったり、ぶどう狩りなど気晴らしをしてもらったりもしました。
 サンライス活動と云ってお米を3キロ袋詰めして、仮設の老人に配る作業、これが大変で事務所はいつも戦場。9トンのお米を3千軒以上に届けるのだから。
 仮説避難所と神戸元気村の事務所内にベルボックス設備が設置され、ボタンによる通信救援依頼の対応や処置、これも忙しかった。
 仮設住宅の引越しが落ち着いたら今度は復興住宅への引っ越し、これも5千軒を超え大変だった。
 神戸で活動中にも鳥取地震緊急出動。続いて高知水害、名古屋水害、中越地震、三国重油漏れ、北海道地震、土佐清水水害、台中地震、スリランカ津波など、最近では東北地震津波と日本はもとより海外までも足を延ばして駈けずり回りました。
 我が愛車軽四ワンボックスカーが良く働いてくれたものだ。会社時代よりも何倍も働いた気持です。
 これからは防災対策に気をつけて大難は中難に、中難は小難、小難は無難に押さえて行きたい。
 どなた様も気を付けて

   2015年1月25日
文責 神戸元気村 中山 守            
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