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第21回 交流サロン報告
“高槻市の歴史を学ぶ”(その 2/2)

  5.高槻の文化的遺産
各年代別に説明を受けた。
時代その時高槻は?
旧石器時代・縄文時代  芥川西岸の段丘上に営まれた郡家今城遺跡や津之江南遺跡は、旧石器時代の人々が残したキャンプ地の跡が見つかっています。
芥川東岸の扇状地にある芥川遺跡は、縄文時代後期の集落跡です。
弥生時代 三島の米作りは、安満遺跡からはじまりました。
弥生時代中期の天神山遺跡は銅鐸出土で、後期初頭の古曽部・芝谷遺跡は高地性の大環濠集落として有名です。
古墳時代 三島地域には、大小約350基の古墳が存在し、三島古墳群と呼ばれています。
飛鳥・奈良・平安時代 高槻は古代摂津国嶋上郡にあたります。國郡里制のもと濃見(野見)・児屋・白髪(真上)・服部・高上の5郷が置かれ、戸籍や租税管理、郡内取り締まりのため、郡役所・嶋上郡衙が芥川西岸の山陽道に面して置かれました。
鎌倉・室町・安土桃山時代  宮田遺跡では農村の様子が、上田部遺跡や梶原南遺跡、神内遺跡などでは濠をめぐらた在地の有力者の屋敷が、絵巻そのままに発掘調査によって明らかにされました。
江戸時代 高槻に譜代大名をを配置し、城の大改修や城下町の整備を行いました。
6.まちづくりとボランテイア活動
@文化財の保護・活用を市民と協働で。
A文化財スタッフの会の活躍
B観光ボランティアについて
 ボランティア観光説明員の育成をしている。
7.質疑応答
1)美しいまちづくりが必要ではないか。
2)点在型遺跡へのアクセスが良くない。駐車場がない。
3)人に優しいまちづくりが必要ではないか。
4)散策コースは良いが、自転車で安全に散策出来るのか。
5)もう一度(リピーター)来てみたいまちいづくり。
などの意見が出た。

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