第21回 交流サロン報告
“高槻市の歴史を学ぶ”(その 2/2)
時代 | その時高槻は? |
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旧石器時代・縄文時代 |
芥川西岸の段丘上に営まれた郡家今城遺跡や津之江南遺跡は、旧石器時代の人々が残したキャンプ地の跡が見つかっています。 芥川東岸の扇状地にある芥川遺跡は、縄文時代後期の集落跡です。 |
弥生時代 |
三島の米作りは、安満遺跡からはじまりました。 弥生時代中期の天神山遺跡は銅鐸出土で、後期初頭の古曽部・芝谷遺跡は高地性の大環濠集落として有名です。 |
古墳時代 |
三島地域には、大小約350基の古墳が存在し、三島古墳群と呼ばれています。 |
飛鳥・奈良・平安時代 |
高槻は古代摂津国嶋上郡にあたります。國郡里制のもと濃見(野見)・児屋・白髪(真上)・服部・高上の5郷が置かれ、戸籍や租税管理、郡内取り締まりのため、郡役所・嶋上郡衙が芥川西岸の山陽道に面して置かれました。 |
鎌倉・室町・安土桃山時代 | 宮田遺跡では農村の様子が、上田部遺跡や梶原南遺跡、神内遺跡などでは濠をめぐらた在地の有力者の屋敷が、絵巻そのままに発掘調査によって明らかにされました。 |
江戸時代 |
高槻に譜代大名をを配置し、城の大改修や城下町の整備を行いました。 |