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5月 活動報告
ねんりんのみち
”変わりゆく茨木を訪ねて”

主  催 :(財)大阪府老人クラブ連合会
共  催 :(財)大阪レクリエーション協会
開 催 日:平成17年5月25日(水) 10:00〜14:00頃
コ ー ス:阪急茨木市駅→茨木神社→川端康成文学館→西尾酒造(酒蔵見学)→西河原新橋→西河原公園(昼食)→疣水神社→総持寺→阪急総持寺駅
コースの所見は、茨城市内の街の賑わいを後にし、少し古い町並みも見ながら、神社仏閣・整備拡張された道路、自然豊かな河川敷の総合的な公園の緑の下での昼食し、その後、疣水神社、西国の札所である総持寺へのコースです。
← 茨木神社は、茨木神社と式内社で摂社の天石門別神社(あまのいわとわけ神社)とが ある。
茨木神社の社殿の欄干宝珠に元和8年(1622)と銘があるように、江戸時代初期に社殿が造営され、茨木の氏神として奉斉するとともに、天石門別神社は地主神として、茨木神社の北側に、別宮または奥宮と称して祀られてた。
茨木神社の東門は、茨木城の「搦手門」を移築されたものとされている。
茨木城は、建武年間(1334〜1336)楠正成が築いたと伝えられている。
↓ 疣水神社は、古くから「疣水さん」と呼ばれ親しまれています。
神攻皇后が戦いに行く時、自分が女であることから、このままの姿では適に嘗められるので、男装をし、この神社に立ち寄り、祈願して社の前から湧き出ている清水で顔を洗いました。すると、美しかった顔がたちまち大きな疣だらけの黒い顔になりました。戦いが終り、戦勝の報告をしたあと、再びこの社前の清水で顔を洗うと、いままでの醜い顔が消え去り、もとの美しい姿に戻ったという。
今でも遠くからこの清水をくみ取りに来る人が多く見られます。

西河原公園にて昼食後の一時
↑ 川端康成文学館は、昭和60年(1985)5月開館しました。
川端康成は、「伊豆の踊り子」、「雪国」、「山の音」、「古都」などの作品で親しまれている作家で、昭和43年(1968)日本で初めてノーベル文学賞を受賞されました。 彼の随筆では、「私の村は現在茨木市にはいつている、京都と大阪との中間の山裾の農村で、その山を深くはいれば丹波である。村の景色に藝はないけれども近くに「伊勢物語」や「徒然草」に書かれた所がある。藤原鎌足の遺蹟も隣り村にある。」と記しています。
→ 総持寺は、十一面千手観世音菩薩を本尊とされる真言宗のお寺で、西国33ヶ所第22番目札所として名高く、巡礼や観光客で賑わっています。
補陀洛山総持寺と称され、仁和2年(886)、藤原一門で中納言の要職にあった藤原山蔭が創建した寺です。
 毎年4月18日には、鯛や鯉などを真魚ばしと包丁だけでさばく、「包丁式(山蔭流)」が行われます。これは、山蔭中納言政朝が御本尊を彫る仏師のために、千日間にわたって自ら料理をしたことにちなんだものです。

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