3月 活動報告
高槻ボランティアガイド研修
第2回ガイド実地研修
「上宮天満宮と古曽部界隈探索」
(その3/4)
←車塚古墳は上宮天満宮の屋敷とのこと 天神山丘陵一帯には弥生時代の遺跡があり、その一部として6世紀中期の前方後円墳・昼神車塚古墳がある。角笛を持つ狩人の埴輪出土(昭和52年)。猟犬や猪のハニワが出土している。 力士のハニワも出ています。 昔は、大阪場所の前には、上宮天満宮の境内で上納相撲をしたとのこと。 |
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→乾性寺 高槻城主士岐定義が、その母長寿院の菩提を弔うために創建した。 藤井竹外のお墓 藤井竹外は、文化4年(1807)生まれの高槻藩士で、儒学者の頼山陽(らいさんよう)に師事して漢詩を学びました。 七言絶句を得意とし、「絶句の竹外」と呼ばれていました。 「芳野」や「花井(はなのい)」など二十五首を収めた「竹外二十八字詩」が知られています。慶応2年(1866)に六十歳で亡くなり、乾性寺に葬られました。 |
↓伊勢姫のお墓 伊勢姫は、歌人で36歌仙の一人。 女流歌人として華やかな宮廷生活を送りましたが、晩年は古曽部に隠棲してこの地でなくなったと。 歌人 和田維政のお墓もあります | |
←伊勢寺 金剛山象王窟と号し、曹洞宗総持寺末 寺門の「扁額」は江戸時代初期の心越禅師の筆跡であるといわれている。 → 廟堂の中にはかなり大きな自然石が置かれている。これが所謂ご神体なのであろう。 よく見るとこの石は人が座っているように見える。それも女性に見えるから不思議である。 |