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11月 活動報告



史跡 闘鶏山(つげやま)古墳
第3次発掘調査現地説明会に出席して


日時:平成16年11月28日 13:00〜15:00
場所:闘鶏山(つげやま)古墳
 JR東海道線(京都線)「摂津富田」駅に近接して北側にある高槻市営バス乗り場から バスに乗車し、「土室(はむろ)」で下車する。
 バス停近くの名神高速道路の下をくぐり、直ぐ右折する。名神高速道路に沿って進み、左手上に八幡大神宮を見て、更に道なりに進むと闘鶏野(つげの)神社に着く。神社の裏山があ「闘鶏山(つげやま)古墳」があるが、今回の見学は名神高速道路を渡る神社の専用の橋を渡り古墳の東面より現地に入りました。
現地見学会時以外は、調査中で入れないとのこと、闘鶏野(つげの)神社から 闘鶏山(つげやま)を見ることはできる。
 闘鶏野(つげの)神社の裏山にある「闘鶏山(つげやま)古墳」はかなり以前からその存在が知られていたが、宅地造成計画のため、2002年4月から発掘調査が行われていた。
 その結果、この古墳は4世紀前半の古墳時代前期の築造と考えられるもので、未破壊、未盗掘の極めて珍しい古墳であることが分かった。
平成14年12月19日付けで国史跡の指定を受けて、恒久的保存が図られています。 高槻市では、闘鶏山(つげやま)古墳の保存整備に向けて、継続的に確認調査をされていた。
 今回の調査は3次調査で、古墳は標高約84mの地点にある前方後円墳で後円部は北側、前方部は南側に位置しており、古墳の主軸は南北の経線にほぼ並行であり、その大きさは、全長約86m、後円部の径は約60mとされている。
 闘鶏山古墳は日本でも最古の古墳の一つであり未破壊・未盗掘の極めて貴重な古墳であることから、専門家による委員会を設置し、発掘方法、保存処理方法など検討する方針といわれている。


  右の写真は、係り員の1トテレンチ(前方部と後円部の付け根部)の説明風景です。
今回の調査で、前方部と後円部ともに2段築成であることが確定した。加えて、 ○後円部の復元直径は60m前後と見られる。
○第1段テラス部は水平でなく前方部側南から後円部側北の方に上がるスロープになっている。
○後円部第2段斜面基底部の直径は約37m。第2段基底部におけるくびれ部に幅は約14.6m。
○後円部東南側には古墳に接して石敷が存在。
 今回明らかになった古墳各部のデータは、闘鶏山古墳の立面形や平面形を復元する上での基本的なものである。
 将来の保存整備において十分繁栄されるよう期待します。

多くの前方後円墳の多くは3段積とのことですが、この古墳は2段積みとのこと、埴輪が見つからないこと等から、古墳時代前期(4世紀前半)と判明した。

一方、今(平成16年11月)、邪馬台国真相解明の鍵を握る弥生時代〜古墳時代の重要史跡が次々と破壊されようとしています。(大阪府立福井高校教授の梅鉢明英先生達が保存運動) 茨木市の尾勝山古墳は、137戸の住宅地に変わろうとしています。高槻市西の原古墳(闘鶏山古墳の真南にある)は、墓地建設が進められています。
(これらの暴挙に反対する市民の声をあがったことから一時的に工事がストップしているとのことです。でも完全停止ではありません。)

遺跡は国民の文化遺産だと思います。充分な調査をした上での保存か開発決めて欲しい。