令和5年10月 わがまち紹介 自然環境に恵まれ京都市の生物多様性を支える地区 左京区 歴史と緑に包まれた"京都工芸繊維大学"見学【報告】 |
月 日 | 2023年10月5日(木曜日) | ||||||
集合場所 | 京都地下鉄烏丸線松ケ崎駅改札出口 集合 | 訪問先 | 京都工芸繊維大学構内見学・京都工芸繊維大学美術工芸資料館見学 | ||||
記 今年の9月25日過ぎまで35℃以上の猛暑日が続き、観測史上最も暑い9月が過ぎました。やっと10月に入り秋を感じる気候になった10月5日、京都地下鉄駅松ケ崎駅の改札に全員集合しました。 松ケ崎駅に初めて下車した方が多くおられました。
広い道路ですが交通量は多くなく、不思議と静かで上品な道です。 道脇の整備された歩道は、京都工芸繊維大学の生徒さん専用道路と思うくらい一般の方は見られませんでした。 「北山通」の松が崎駅近辺では、京都の北山の山々が手の届く位置に見えます。 松が崎地区は、皇室との深い関係の土地で有名で、お盆の8月15・16日には「題目踊り」、又8月16日は「妙法送り火の点火」が行なわれ有名です。 松ケ崎駅から約750m程度で、京都の松が崎地区にある「京都工芸繊維大学」正門に着きました。
センターホームの前を通り、「美術工芸資料館」へ向かいました。 資料館の前には大学の関係者が迎えて頂きました。 「美術工芸資料館」では、並木館長から大学及び美術館の説明をして頂き、特別展の「諏訪蘇山展」の展示品の内容を丁寧に説明して頂きました。 昼食は、KIT HOUSE(学生食堂)で頂きました。 京都市左京区 京都市左京区は、山間部から中心部に近い市街地までを占め、区域は南北に縦長の区です。 北陸からの玄関口にあたり、古くから交通の要衝となっています。区の中部から北部にかけて、京都府で最も標高が高い皆子山をはじめとする山々が連なっており、山林地帯は区の80%を占める程広く、多種多様な動植物が生息。区の南西部の市街地は、住宅地が広がり、その中に世界文化遺産に登録されている「銀閣寺」や「下鴨神社」、「平安神宮」など人気の史跡が多く点在しています。 また、「京都大学」をはじめ6大学が立地し、留学生を含めた若者も大勢住む地です。 東部には広大な敷地を誇る「三千院」があり、四季折々の美しい景観を愛でる参拝客で賑わい、その他にも、「貴船神社」、「鞍馬寺」など、各地に数多くの由緒ある文化財が残されています。
左京区の"左京"とは、天皇の在所である御所から見て左側ということ。 左京区松ヶ崎地区(松ヶ崎村) 松ヶ崎地区は、高野川と鴨川の三角洲で出来た、田畑に適した土地でした。 1889年(明治22年)の町村制発足により村となりました。1931年(昭和6年)4月1日、京都市左京区に編入合併して消滅しました。 松ヶ崎では平安京遷都直後から米作りが行われた記録があるほか、源氏物語の夕霧の帖にも「松が崎」の名が現れている。稲作を中心とし、麦や菜種を裏作で作る豊かな土地だった。 宝が池は江戸時代宝暦年間に農業用のため池として作られた人工池で、もともと湧水があった深田の東側に堤を作ってせきとめたものです。 1855年(安政2年)、松ヶ崎の北にある深田をため池にするための修理・拡張工事がなされた。「宝ヶ池」という名前は、水不足から開放されたお百姓にとって、宝物のような価値のある池という意味からつけられたとも言われている。宝の水を松ヶ崎へ引くために、南側の山を避けて東へ迂回させた。 明治までは単に溜池、北浦溜池などと呼ばれ、1911年(明治44年)に発行された文書に宝池の名が初めて出ている。 松ヶ崎地区は、皇室との関係が深いと言う言い伝えの一つが松ヶ崎百人衆です。これは桓武天皇の平安遷都の折、奈良、平城京から百姓百軒を松ヶ崎に移住させ田と山林を貸し与えて皇室の為の米作りをさせたというものです。 その為、分家は許されず常に百軒の農家が安定して作物を作るということが要求されました。 村には今も伝わる「松ヶ崎定法」と呼ばれる様々な厳しい掟や定法が定められていたそうです。その代わり収入は安定し、貧富の差もなく、様々な便宜、優遇があったということです。 江戸時代を通じてほとんど人口が変動しなかった。松ヶ崎村の京都市への編入により「定法」による縛りが緩まったことなどから、1931年(昭和6年)以降は急速に人口が増加しているが、松ヶ崎村であった時代には「定法」の影響が残り、1873年(明治6年)の人口544人が1931年(昭和6年)では1,025人に増加した程度にとどまっていた。 京都工芸繊維大学 京都工芸繊維大学は、1899年(明治32年)設立の京都蚕業講習所と1902年(明治35年)設立の京都高等工藝学校を前身として、1949年に新制大学として設置され、2019年に開学120周年、大学創立70周年を迎えます。 大学の理念 国立大学法人京都工芸繊維大学は、120有余年前、京都高等工藝学校及び京都蚕業講習所に端を発し、永きにわたり発展を遂げてきました。この間、日本文化の源である京都の風土の中で培われた、〈知と美と技〉を探求する独自の学風を築きあげ、学問、芸術、文化、産業に貢献する幾多の人材を輩出してきました。 21世紀において、本学は、国立大学法人として、自主自律の大学運営により社会の負託に応えるため、地球時代で顕在化し直面している幾多の課題の解決法を探求し、未来の持続可能な世界を実現する使命を負っています。 そのために、京都発の先鋭的な国際的工科系大学KYOTO Institute of Technologyとして、これまでにない新しい発想や価値の創造を実現すべく本学の理念を宣言されています。 |