わがまち紹介
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令和5年1月 わがまち紹介
歴史と伝統の息づく"まち"
大阪市天王寺区
四天王寺参拝・散策
報告
月  日 2023年1月19日(木曜日)
集合場所 JR天王寺駅中央改札出 集合
訪問先 日本最古の官営寺院「四天王寺」参拝・散策
上町台地の陰影段彩図
 1月19日は、大寒の時期ですが、雲一つない快晴でした。
 JR天王子駅の中央改札出口に全員集合しました。
 今回は、参加者全員に「わがまち紹介 天王寺『参拝・散策』ガイドブックを配布しました。
更に出発前に「上町台地の陰影段彩図」を配布しました。
谷町筋を四天王寺に向いスタートしました。
JR天王子駅は、出発前に配布した「上町台地 陰影段彩図」でわかる様に上町台地の頂上部にある駅で同じく四天王寺も台地の頂上に近い位置にあります。
熊野街道
 上町台地の頂上を熊野街道が走っています。
今は谷町筋と言う大きな道路です。
 大阪の歴史的遺産はこの街道の両側にあると言っても過言ではないと思います。
 熊野街道は、京から大坂を経て熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣に利用された街道の総称で紀州街道とも呼ばれました。
八軒家浜にある渡辺津記念碑
 京からは渡辺津までは淀川を舟で下り、最初の王子・窪津王子へ参拝して熊野へ向かいます。
 街道は、摂津大坂の渡辺津(江戸時代以後はこの地を八軒屋という)を起点に四天王寺、住吉大社を経て、紀州田辺を経て、中辺路または大辺路によって熊野三山へと向かう道筋でした。
天王寺の由来
 東成郡天王寺村の一部であったことに由来する。
四天王寺を包括する地域を占める村として天王寺村の名が古くから受け継がれてきました。
四天王寺
 天王寺の地名の由来となったのが聖徳太子建立の「四天王寺」で、その歴史は6世紀末にさかのぼります。
この寺は単なる寺院ではなく、「四天王寺七宮」という外護の神社群と、「四箇院(しかいん)」と呼ばれる施設を備えていた。
「四箇院」は仏法修行の道場である「敬田院」:四天王寺・四天王寺学園。
病者に薬を施す「施薬院」:薬局。
病者を収容し、病気を癒す「療病院」:四天王寺病院。
身寄りのないものや年老いたものを収容する「悲田院」:四天王寺福祉事業団の四つで構成され、その精神は現在にも引き継がれています。
参拝の順序
 今回は、上町台地と四天王寺の位置関係を理解するために熊野街道を通り、石鳥居、そして極楽門から四天王寺の伽藍に入りました。
 本来の入門は、南大門からはいるのが正道ではないかと思っています。
なぜなら、仏様が全て南を向いている事からもわかるように、南大門からお参りするのが正しいと思います。
 現在は、参拝者の利便性を考えてか、伽藍に出入りするのは西重門となっています。
極楽門を背景に記念写真
 南大門から入ると、「中門(仁王門)」「五重塔」「金堂」「講堂」と一直線に並び、回廊が囲んでいます。
これが有名な「四天王寺式伽藍配置」です。
四天王寺に来たら、中心伽藍は見ておきたいと思い、まず伽藍に入りました。
 次に六時堂は、建物が戦災でも残り、重要文化財です。
丁度礼拝の時間に参拝させて頂きました。
帰路は、南大門より南へ約2百メートルの「四天王寺庚申堂」を参拝しました。

※わがまち紹介「四天王寺『参拝・散策』ガイドブックは下記をクリックして頂くと出て来ます。
わがまち紹介「四天王寺『参拝・散策』ガイドブック
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