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令和4年8月 わがまち紹介 瀬田の唐橋を征するものは天下を征する 水に浮かぶは膳所の城 大津市科学館・膳所城跡散策 写真で報告:4/4(大津市立科学館) |
大津市立科学館 2階常設展示ホールは、琵琶湖のおいたちと生態系、自然保護、滋賀県の地質などを映像・模型・ジオラマを中心に展開している。 3階は、様々な科学の基礎・応用を、いろいろな実験装置を使って体験できる。小学生3年から5年生には大変楽しく科学の基礎が学べると思います。 | ||
大津市立科学館外観 |
大津市立科学館ロビー |
大津市立科学館入口 |
大津市立科学館2階展示 |
大津市立科学館2階展示 |
大津市立科学館3階展示 |
大津市立科学館1階ロビー 膳所城の模型 |
大津市立科学館1階ロビー 膳所城の説明盤 |
大津市立科学館1階ロビー レストラン CLOVER入口 |
※膳所城模型の説明書 銅板の膳所城 1600年(慶長5年)関が原の戦いの後、徳川家康が初めて築いたお城が膳所城です。 この模型は江戸時代初期の膳所城絵図をもとに大津市松本の山極千蚕さんが銅板20枚(1枚1.5Kg)を使って作成されたものです。 山極さんは、滋賀県技能者表彰「おうみの名工」にも選ばれたいる銅板職人で、約2年の歳月をかけて銅板と鑿とトンカチで模様を付けながら、石垣や屋根の細部まで表現しています。また市内に移築された城門なども訪ねて柱の微妙な曲線や扉の模様も復元しています。 膳所城は、1601年大津城を廃城したあと[天守閣は彦根に移築]現在の膳所城跡公園に築城されました。琵琶湖の浮城と呼ばれ日本三大湖城のひとつでしたが、1870年(明治3年)明治維新となり解体されました。 ※注記 1)寛文2年(1662年)の大地震以後に二の丸と本丸の間の堀は埋め立てられ本丸となる。寛文2年以後に三の丸は二の丸となり、北の丸・本丸・二の丸となった。二の丸の跡地は、現在膳所浄水場となっている。 2)現在の丸の内町・本丸町は、武家屋敷であった。 3)日本三大湖城の膳所城 膳所城は、琵琶湖を利用して作られました。膳所城、坂本城、瀬田城と一緒に、「琵琶湖の浮城」とも呼ばれていたんです。 |